板付きとは、その場から動かないことだ。
たとえば椅子に座ったまま喋るようなシーンでは、
下手すると頭から尻までずっと座ったまま、
ということがある。これを板付きという。
舞台の板に釘で張りつけたイメージだ。
これも初心者に多い。
何故なら、やはり台詞と話をするので手一杯だからだ。
板付きをやめてみよう。具体的にはどうすればいいか。
立ったり座ったりする。
その場を歩き回る。
その場からいなくなる。何かを取りに行く。何かを置きに行く。
最初いなくて、登場する。
途中でいなくなる。退場する。
などが、具体的な身体動作による表現だ。
さて、これらをただやる人はいない。
そこになんらかの理由があるから、人は動く。
それは、動くことで何かを進めようとするのだ。
動くことをフェイクにしながら、
実は本音は別のことにあるパターンもある。
刑事コロンボは、尋問のあと帰るふりをして、
振り向きざま一番痛い質問をする。油断させるためだ。
板付きで喋るだけでは話が進まない。
人は動くことで、事態を進展させるのだ。
板付きで喋ることは、
喋ることがなくなると終わる。
それは、手持ちの情報の消費や共有であり、
ストーリーの進展ではない。
今まで共有されてないことで不具合があり、
共有されることがいいことなら、進展したといえる。
しかし、本当の進展とは次に何をするかだ。
あるいはその逆で、共有されていないことで進展していたものが、
共有されることで不具合を生じることもある。
(秘密の暴露)
この場合も、共有されたあとに誰が何をするかが進展だ。
情報の消費や共有は、
ストーリーの進展の前提条件に過ぎない。
(必要条件とも限らない)
そして、板付きの会話は、情報の消費と共有までしか出来ない。
動きがあって、はじめてストーリーに動きが出るのである。
「12人の怒れる男」を見れば分かるが、
席についている時間と、ついていない時間を計ってみるとよい。
イメージの中ではずっと座っている思い込みがあるが、
実はかなりの時間、席にはついていないのだ。
立ったり座ったり、外の人に証拠を要求したり、
犯罪場面を立って再現してみたり、
トイレ休憩をしたり、
窓を開け閉めしたり、扇風機を動かしたり、
様々な導線を工夫している。
それは絵がわりをして飽きを防ぐという意味合いもあるが、
本当の目的は、動く動機がその人にあるからだ。
息詰まった空気を変えたい、でもいい。
板付きでない何かをすると、
その人に動機が生まれる。
息詰まった空気を変えるふりをして、聞きたいことを聞く、
などのことはよくやることだ。
席の代わり際には、だからドラマが発生するのだ。
正確にいうと、ドラマを発生させるために動かすのだ。
それは何気ない日常的なことでも構わない。
トイレにいく、ケータイがかかってくる、
なんか忘れたので取ってくる、なんか落とした、
それらのことで何か別のことに空気を変えることを、
きっかけという。
きっかけにより、ターニングポイントに持っていくのだ。
「多分、大丈夫」は、一見動きのない居酒屋会話だが、
それはあくまで情報の消費や共有のときだけだ。
席をたち動きのあるときが、
丁度話が動く箇所、すなわちターニングポイントになる。
冒頭の池やんの登場(幽霊の伏線も兼ねる)をきっかけに、
今日あったことをセットアップする。
ヨシオが立ち、ボールを取りに行くと見せかけてトイレへ。
帰ってきたきっかけで本題へ入ろうとする、
今度は池やんがトイレへ行く(ふり)。
これきっかけで、遺言のような言葉を残し、
そして帰ってこない。
話の節目が、板付きでないきっかけになっている。
板付きでないことをするには、
他にも色々ある。
服を脱ぐなどの変身もあるし、
人が増える、減るもある。(電話による一時的に人を増やす方法もある)
小道具の登場や退場もある。
その場で消える小道具を消えものというが、
(食べ物や飲み物は代表的な消えもの。昔は煙草も。
ドライアイスや氷、蝋燭も消えもの)
それを利用することも可能だ。
消えものに対して増えものは聞いたことないが、
増えるワカメや蛇花火などの増えるものは何かに利用できるかも知れない。
(だから何かを作りながら会話するというのはとても多い。
料理は基本だ。会話中の増えもの、と言えるだろう。
綿菓子やかき氷が出来るまでのちょっとした間なんて、ドラマの宝庫ではないか)
板付きは、状況が変化しないことを暗示する。
その変化が、動きという物語を具体的に生むのだ。
もしあなたの書くシーンが、全員板付きなのだとしたら、
それは多分情報の消費と共有以外、
ストーリーが進んでいないだろう。
それは単なるお喋り会議に過ぎない。
お喋り会議は、物語ではない。
物語とは、状況が動くことをいう。
会議室で全員が座ったままなら、
誰かを突然立たせてみよう。何故立ったのか。
その動機が、ドラマを生む。
2014年10月22日
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