昔、「物語とは、困難の克服である」と書いたことがある。
これは、外的問題と内的問題の解決を、
二重に現そうとしたことばだ。
克服、という心の中のような言葉を選んだのには理由がある。
最大の障害を、自分の中に置くとよいからだ。
映画とは、外的問題の解決を表のストーリーにしながら、
実は内的問題の解決のストーリーが裏にある。
最大の障害は、表面上最強の敵だ。
しかし本当の障害は、主人公の内的問題なのだ。
主人公の内的問題は、第一幕のどこかで設定される。
(僕は初出でやるべきと主張している)
それは、解決し終わったときの真逆からはじめるとよい。
そのうちに問題が発生する。
主人公はそれを積極的に解決せざるを得ない立場にいる。
そこで解決の旅に乗り出す。
問題は、他者とのコンフリクトに変換される。
他者との揉め事を解決するのがセンタークエスチョンだ。
が、その過程で、実は主人公の中にある最大の問題、
内的問題の解決が必要なのだ。
これをしない限り、外的問題の真の解決にはならないのだ。
ストーリーを考える、とは、
このような内的問題と外的問題のペアを考え、
それらの解決方法まで考えることだ。
(それを主軸に、サブプロットまで考えることも含む)
しかも納得のいく、見事な解決を。
何度か警告しているが、自分を主人公にした場合、
内的問題の解決をスパッとやることは難しい。
自分の抱えている問題はリアルに書けるが、
解決をリアルに書くことが出来ないからだ。
(そもそも克服していれば問題じゃないから。
過去に克復した内的問題を書くことはある)
だから、自力解決ではなく他力による解決に逃げてしまう。
これがメアリースーの原因のひとつである。
このとき、主人公の最大の障害は、
ダースベイダー的な最強の敵でありながら、
自分の弱さでもあるのだ。
それを克服する動機は、既にある。
あるからこそ、克服への勇気を持つ。
その克服の仕方、その腑のおちかた、そのカタルシスが見事であればあるほど、
それは名作に近づくだろう。
主人公の最大の敵は自分だ。
ごく当たり前だけど、それを時々忘れて、
単なる外的問題の解決に奔走してしまう。
仮面ライダーの物語が名作なのは、
「自分が最も憎むべき敵組織につくられたこと」である。
主人公は、存在自体が矛盾なのだ。
彼の最大の敵は、ショッカーという悪の組織だが、
自分のアイデンティティーを自分で決めなければならない、
という内的問題なのだ。
デビルマン、新造人間キャシャーン、妖怪人間ベム
(どれもオリジナルに限る)など、同じ内的問題の障害を抱えた名作はたくさんある。
それぞれの解決の仕方を比較するのも研究としては面白いだろう。
平成ライダーに僕が惹かれないのは、
いわば父殺しに匹敵する、昭和ライダー以上の、
自分の中の最大の敵が魅力がないから、のような気がする。
さて、自分の作品だ。
最大の敵はなにか?最大の障害は、何を克服すればいいか?
そのドラマは?
そこに注意して、分析してみよう。
2014年10月25日
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