2014年10月25日

己が最大の障害になる

昔、「物語とは、困難の克服である」と書いたことがある。
これは、外的問題と内的問題の解決を、
二重に現そうとしたことばだ。

克服、という心の中のような言葉を選んだのには理由がある。
最大の障害を、自分の中に置くとよいからだ。


映画とは、外的問題の解決を表のストーリーにしながら、
実は内的問題の解決のストーリーが裏にある。

最大の障害は、表面上最強の敵だ。
しかし本当の障害は、主人公の内的問題なのだ。


主人公の内的問題は、第一幕のどこかで設定される。
(僕は初出でやるべきと主張している)

それは、解決し終わったときの真逆からはじめるとよい。

そのうちに問題が発生する。
主人公はそれを積極的に解決せざるを得ない立場にいる。
そこで解決の旅に乗り出す。
問題は、他者とのコンフリクトに変換される。
他者との揉め事を解決するのがセンタークエスチョンだ。

が、その過程で、実は主人公の中にある最大の問題、
内的問題の解決が必要なのだ。
これをしない限り、外的問題の真の解決にはならないのだ。

ストーリーを考える、とは、
このような内的問題と外的問題のペアを考え、
それらの解決方法まで考えることだ。
(それを主軸に、サブプロットまで考えることも含む)

しかも納得のいく、見事な解決を。


何度か警告しているが、自分を主人公にした場合、
内的問題の解決をスパッとやることは難しい。
自分の抱えている問題はリアルに書けるが、
解決をリアルに書くことが出来ないからだ。
(そもそも克服していれば問題じゃないから。
過去に克復した内的問題を書くことはある)
だから、自力解決ではなく他力による解決に逃げてしまう。
これがメアリースーの原因のひとつである。


このとき、主人公の最大の障害は、
ダースベイダー的な最強の敵でありながら、
自分の弱さでもあるのだ。
それを克服する動機は、既にある。
あるからこそ、克服への勇気を持つ。
その克服の仕方、その腑のおちかた、そのカタルシスが見事であればあるほど、
それは名作に近づくだろう。

主人公の最大の敵は自分だ。
ごく当たり前だけど、それを時々忘れて、
単なる外的問題の解決に奔走してしまう。


仮面ライダーの物語が名作なのは、
「自分が最も憎むべき敵組織につくられたこと」である。
主人公は、存在自体が矛盾なのだ。
彼の最大の敵は、ショッカーという悪の組織だが、
自分のアイデンティティーを自分で決めなければならない、
という内的問題なのだ。
デビルマン、新造人間キャシャーン、妖怪人間ベム
(どれもオリジナルに限る)など、同じ内的問題の障害を抱えた名作はたくさんある。
それぞれの解決の仕方を比較するのも研究としては面白いだろう。

平成ライダーに僕が惹かれないのは、
いわば父殺しに匹敵する、昭和ライダー以上の、
自分の中の最大の敵が魅力がないから、のような気がする。


さて、自分の作品だ。
最大の敵はなにか?最大の障害は、何を克服すればいいか?
そのドラマは?
そこに注意して、分析してみよう。
posted by おおおかとしひこ at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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