我々は、繊細でニュアンスや空気を含む、
日本語を母国語としている。
時々繊細すぎて、伝わる伝わらないが分からなくなることがある。
こういうときに英語は便利な武器になることがある。
我々は日本語のひとつの言葉に色んな意味をこめたがる。
二重三重に、掛詞になっていたり、他のことを踏まえていたり、
しようとさせる。
ところが、英語は斧のように力強い。
ひとつのことをズバリと言うだけの言葉だ。
たとえば、てんぐ探偵における敵の存在、
妖怪「心の闇」を、どのように表現するべきか悩んでいた。
多義的な意味合いも欲しいと思っていた。
なんとなくポスターをつくっていて、英語表記ならカッコイイかなと思い、
さて、妖怪「心の闇」はどう表現するべきか、と思ったのだ。
mosterやfairyではない。
動物や架空の生き物のように、生態系をもつ種族ではない。
人間の心の暗部の擬人化のようなものだ。
creatureのような実在感ではなく、妖怪はもっとふわふわした存在だ。
心の闇の英訳はdarkness of mindだそうだ。
mindは、どちらかというと理性を司る部分だから、
悪企みや、考えた上で悪の側を選択する、というニュアンスが強い。
ダークサイドに落ちる、という表現は、
人間の心には善の要素も悪の要素もあって、
どちらを選ぶかを考えたとき、無自覚ではなく自覚的に悪を選ぶ、
というニュアンスがある。
うっかりとか、いつの間にか、ではない。
心の闇はそうではなくて、
なんだか良く分からない、というニュアンスが欲しいと思っていた。
人の心は自覚出来るところと出来ないところがあって、
その無意識の部分のほうが遥かに多くて、
その部分の擬人化が妖怪である、
という日本語のニュアンスを保ちたかったのだ。
darkness of heartでは駄目だ。心意気とか、心臓になってしまう。
日本語の心は、英語の複数の言葉を包括している。
(mindとheartを含み、人間関係をも包括している)
妖怪も。
心理学でshadowという言葉が、近い。
自分の分身というか、影の人格というか。
ただ、心理学の言葉かどうか簡単な単語すぎて分からないので、
self-shadowと名付けることにした。
(shadowで伝わるかも知れないが、よくある悪の組織っぽかったので)
ここから想定されることは、
自分の無自覚な、普段は隠されている影の部分だ、ということだ。
善悪とは関係のない部分だ。
生まれる場所はどこか他の所ではなく、自分自身ということだ。
英語は斧のように力強く概念をぶったぎる。
ニュアンスとか空気とか二重三重の意味は通用しない。
なるほど、self-shadowか、と思い、
その本質がより分かりやすくなった次第だ。
諸君も、たまに英語で自作のコンセプトを考えてみるとよいだろう。
英語と日本語に詳しくないと駄目だけど。
時々名台詞は、英語で聞いたほうがとても力強かったりする。
スタローンはそういう台詞が上手い。
バカでも分かる、がポイントだ。
俺みたいな中途半端なヒアリングでも分かるのがポイントだ。
ライムライトの中でのチャップリンの台詞、
Time is great author. Always writes perfect ending.
というシンプルな英語が好きだ。
「時は偉大な作家だ。常に完璧な結末を書く」という訳よりも、
多くを語れていると思う。
「時間が作家だとしたら、いつも結末は完璧だよね(だって忘れられる、という落ちだから)」
のような、文脈込みの、ここは皮肉を言っている、
という意訳をしないとしんどいところだ。
それが英語ではシンプルに力強く書ける。
凄い言語だと思う。
映画を吹き替えで見るのはアホだと思うよ。
日本語は逆にニュアンスとかが得意なんだがね。
2014年10月26日
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