2014年10月27日

絵コンテのコンテって何?

continuityのこと。
連続すること、つづき、一連のもの、などの意味だが、
一言でいえば、流れだ。


コンテに静止画的なアングルがあってはならない。
それは事態の静止を意味し、
内容の停止と死を意味する。


物語とは、静止状態からはじまって、
物事が動きだし、再び静止するまでの流れのことをいう。

最初は一見どちらにも事態が動かせない、
発展もしようがない世界が描かれる。(初期設定)
それがきっかけによって、事態が動き出す。
それが100分ぐらいあるのが映画だ。
そして最後はまた世界は静止する。ラストシーンだ。
この最初と最後の静止状態の差を変化という。

全く同じになっては詰まらない。
それまでの努力は何だったんだ、となるからだ。
世界は悪くなった、という変化もあまりオススメではない。
努力や頑張りが虚しくなる、痛烈な批判以外は、
頑張って付き合った観客たちが、それをどう取ったらいいか分からなくなるからだ。
だから、変化とは、大抵よい変化のことだ。
世界は変える価値があるもので、その変えた価値は意味のあることだ、
というのが文学の基本だと思う。(その価値こそがテーマ)


さて、映画とはこのような、
流れの構造をそもそも持っている。

従って、その撮影計画であるところのコンテは、
その動きを表現するものである。
役者の動き、カメラの動き、背景の動き、モブの動き、
乗り物の動き、火や水や風や煙などの動き。
それらの動きが、物語の動きの代わりになるのである。

つまり、映画とは、画面の中の動いているもの(モチーフ)で、
動いていること(内容、テーマ)を表現する芸術形式なのだ。


従って、その撮影計画かつ編集計画であるところのコンテは、
どのような動きで、内容の動きを表現するか、
というものでなければならない。

だから、絵の上手い下手は関係ない。
動きが描かれているかどうかが、上手い下手に関係する。


静止画的な絵しかかけない人がいる。
それは、絵が下手なのではなく、
頭のなかで動きをつくるのが下手なのだ。
そういう人は映画に向いていない。
画家や写真家など、時間軸を持たない芸術をやるほうがよい。

コンテは、動きの計画だ。


そのようなコンテの為には、
そもそも内容が動いていなければならないが。

今一度「12人の怒れる男」を研究するとよい。
話の動きと、役者の座っていないほうの動きが、シンクロしていることに気づくだろう。
この動きこそが、撮影計画かつ編集計画であるところのコンテに、
描かれるべき部分だ。(あとはカットを割るだけだ)


僕はコンテは「振り付け」だと思っている。

絵コンテを描く人は、絵師ではなく、振り付け師でなければならない。


もし静止画的な絵ばかりのコンテだとしたら、
コンテを切った人間がこのことを分かっていないか、
物語に動きがない駄目な脚本のときだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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