自分の書く文は、自分色が出る。
自分色が出ない文章など、文学ではない。
さて、小説なら地の文などにその色を濃くすることが出来るが、
脚本ではそうはいかない。
脚本の殆どの表現は、台詞にあるからだ。
脚本の文字の7割8割は、台詞だ。
で、初心者によくあるのが、
どの登場人物も作者の口癖を言うことだ。
自分の口癖は自分では気づけない。
だが誰かの口癖は分かる。
友達など、その人がリアルに喋る言葉をよく聞いている人が台詞を書くとき、
その人っぽく喋るキャラばかりなのが気になることがある。
(先日若手を集めた塾で台詞劇を書かせたら、見事にそうなった)
これは、自分より他の人間に指摘されない限り自覚出来ない。
或いは、指摘されたとしても、
それ以外のしゃべり方を、自分では思いつけないことが多い。
それを避ける方法がある。
物真似である。
誰かその人の言葉を日常的に聞く環境のある人の言い方を、
モデルにするのである。
(若い人が書くおっさんおばさんの喋る言葉は、
大抵父母がモデルだ。そういう言い方しか知らないからだ。
例えば主人公の親や、指導者や、部長や、食堂のおばちゃんなどは、
大抵父母と同じ言葉遣いをする。人生経験を積めば積むほど、
これらのモデルのバリエーションは、父母以外にも増えるだろう)
主人公の友人を、自分が喋る感じにではなく、
自分の友達の真似をしながら書いてみよう。
主人公の恋人を、自分が喋る感じにではなく、
自分の恋人(や異性の友達)の真似をしながら書いてみよう。
その人の言いそうなことを言わせよう。
その人が言わなさそうなことは言わせないでおこう。
それだけで、複数の口癖が存在するようになる。
慣れてくると、更に発展的になる。
言葉とは内面が外に出たものだから、
その人の性格や生い立ちや哲学や好みで、
出てくる言葉、すなわち考え方自体が違うのだ、
ということが分かるようになるのだ。
例えば先に占いの例を出したが、
乙女座と獅子座のカップルと、双子座と天秤座のカップルの会話を、
書き分けられるだろうか。
星占いに詳しくないなら、
O型A型のカップルと、B型AB型カップルの会話の書き分けでもいい。
心理学に仮面劇のエクササイズがある。
たとえば四人一家の食卓での会話を演じさせる。
即興で台詞を言う場合もあるし、流れ的な台本を用意されている場合もある。
家族構成は、父母、兄弟または姉妹などの組み合わせだ。
自分以外の役も一通り演じる、つまり計四回演じる。
これによって、相手は何を考えているか、
誰をどのように見ているかを、他人の立場を演じることで掴むのだ。
例えば父子関係が上手くいかない人に父親を演じさせ、
父が何をどう考えているかを体感させるのである。
これによって自分サイドからは考えもしなかった思考に至り、
こじれていた父子関係が変わることもあるのだ。
(方法論は療法士によって異なる。演劇セラピーなどで調べてください)
言葉は単なる口癖ではない。
考えていること、至らないことが、外に出てきたものだ。
口癖が違うということは、考え方そのものが違うということだ。
女の子と付き合ったことのない男は、
やっぱりヒロインとの恋のリアリティーがない。
それは口癖よりも、考え方そのもののリアリティーがないからだ。
だからそれまで接してきた架空の世界の女の子を、
そのまま持ってきてしまい、嘘臭いと言われる羽目になる。
別に全ての経験をしないと駄目だと言っている訳ではない。
自分以外の他者を、きちんと書け、
なおかつ他者と他者の考え方の差や感じ方の差を書き、
他者と他者の揉め事やその解決を、
書けるかという話である。
(何故に揉め、どうやって落ち所を納得したかということを、
他人の目線で書けるかという話だ)
そういうことが出来ていない人の書く登場人物は、
全員が作者の口癖で喋る。
それは観客から見れば、
みんな同じに見えるとか、キャラが立っていないとか、
感情移入しづらいとか、なんかメリハリがない、
という作品になるだろう。
まずは口癖に気をつけてみよう。
漫画っぽいキャラはいらない。
実在の人っぽい、リアリティーあるものがいい。
それは、あなたが他者をどのように考えているかを、
ある程度反映する。
2014年10月28日
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