「save the cat!の法則」を気になって読み返していて、
誤訳というか、誤解を招きかねない訳があったので指摘しておく。
「皮肉のあるログライン」の「皮肉」という訳だ。
今現代の日本語では、皮肉というと、
頭の切れるやつの嫌味の意味でしか使われない。
ブラックユーモアもその範疇だろう。
風刺や揶揄や批判が主目的のことばだ。
しかしこの場合の皮肉は、「逆」の意味だ。
皮肉は、ironyの訳語だ。
文学研究上のこの言葉は、仮面の元義をもつ。
心で思っていることと、表面の態度が異なることだ。
不細工な人に不細工ですね、と言わず、
カバンが素敵ですねとか、目がキレイですね、
というのが皮肉である。
批判や揶揄や嫌味がニュアンスに入るかどうかは本来問題ではない。
ただ、日本語の文化では、
これは風刺や揶揄や嫌味にしか使われないだけだ。
文学研究上使われるironyは、
逆のこと、と考えるほうが分かりやすい。
劇的アイロニーを思いだそう。
これは皮肉を言うことではなく、
「登場人物の知らないことを観客は知っており、
その落差を楽しむこと」だ。
彼女に恋人がいるのに、そうと知らず頑張る童貞を、
我々観客がニヤニヤしながら見ることである。
これには「逆」がある。
登場人物の知らないことと、観客が知っていることの逆だ。
対比でもいい。
対比は、逆の時最も効果的だ。
さて、ログラインの話に戻ろう。
ログラインには皮肉があるべきだ、とブレイク・シュナイダーは言う。
この場合の皮肉は、
日本はアメリカと仲が良いですね(本心では犬と思っている)と言うこと、
ではなく、
「逆」の意味だ。
何が逆かというと、
主人公の特質と、状況が、なのだ。
例で挙げられている「ダイ・ハード」では、
「離婚を抱えた刑事」が、
テロリストに占拠されたビルをどうにかする必要がある。
そして、彼らの人質が、「その妻」なのだ。
これが単なる市民が人質に取られていても、面白くはならない。
「離婚したいその女を助ける」というその矛盾が、
面白いドラマを生むのだ。
このログラインだけで、
その刑事は妻を見捨てるのだろうか(嫌いだろうから)、
いや、助けるのだろうか(職務だから)、
助けたら再婚するのではないだろうか、それとも仕事と離婚は別なのか、
或いは、救出作戦の中で愛を取り戻すような出来事が起こるのだろうか、
と、
様々な予測を立てることができる。
それは、逆を持つからである。
互いに矛盾する要素があるからこそ、
どちらに転ぶか分からないハラハラを生むのである。
そして大抵、この矛盾を止揚するラストにたどり着くのだ。
(救出&愛が戻る、というハッピーエンド)
物語とは、この矛盾する状況と内面との、
統合された新しい結論を探すことなのだ。
コンフリクトの話は、全くこれと同じである。
内面的コンフリクトか、外的なコンフリクトかになるだけだ。
そして三人称視点である映画では、
個人の内面を描けないから、
外的コンフリクトで内的コンフリクトを代用(象徴)するのだ。
この場合、「妻を愛すること」は、「妻を無事救出すること」になる。
コンフリクトの相手はテロリストだ。
内的コンフリクトの相手は、自分自身の気持ちだ。
ハリウッドをはじめ、西洋の物語は、
このような矛盾(コンフリクト)が、第三の解決策にたどり着くまでを描く。
アジアの物語はこれに限らない。
つまり、ログラインとは、
「その矛盾を書くこと」なのである。
矛盾を書けば、それをどうやって解消するんだい?
という興味がわく。それがこの本編でございます、という体なのだ。
矛盾とは、つまり逆のことだ。
ログラインには皮肉がなければならない、
という言葉はだから誤訳だ。
この訳ではこれらの話が想像できない。
ログラインには逆(または矛盾)がなければならない、
と訳すべきだ。
さて、あなたの物語には逆があるか。
主人公の内面的状況と、置かれた状況にだ。
それをどう解消しようとしているか、という話になっているだろうか。
それが、物語だ。
2014年10月28日
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