書いている途中に急に書けなくなってしまう、謎の書けない病。
このブログでも何度か触れているが、
今回の対処法は、話の行方を思う、である。
実際に書いているときは、
登場人物になりきったり、その場の空気を記録したりすることが主になる。
だから、用意していたプロット(計画)のようにものごとが進まないこともある。
その気持ちに自然とならないとか、
そうする理由が弱いとかだ。
それは、計画へのリアクションで、
登場人物として「反応」していることの証拠だ。
さて、反応は全て過去に対する行為だ、
ということに注目しよう。
それぞれの登場人物は、過去への反応や反省や思考や思索を経て、
未来にどんな希望や願望や無意識の期待を持っているかに注目しよう。
あるいは、嘘を言ってでも実現したいことや、
ここは腹を割らないとこれからのことが嘘になると思うことや、
未来への色のつきかたにも注目しよう。
主人公ばかりでなく、相手役の何人かのそれにも注目してみよう。
危険なのは、未来について何も思っていないことだ。
こういうときに、書けない病になるのだ。
ぼんやりでもいいから、その人物に未来図を頭の中で描かせてみよう。
登場当時はどうだったか、そもそもの動機はどうだったか、
話の経緯を経てきて、
それが具体的にどう変化したか、あるいはしてないか、
あるいは大きくは変わってないが具体的にどうなってるか、
把握しよう。
書けない病とは、おそらく全員が「よくわからない」になっていることだ。
それぞれの登場人物に尋ねよう。
そもそも何がしたかった?
色々な事件や行動をしてきたし、他人の行動や結果も見たよね?
それをどう思った?
で、今何がしたい?
今したいことが分からなくてもいい。
いずれどうなりたい?
(話にもよるが10分後、1時間後、明日、数日以内、数ヶ月後、数年後、いつの日か)
その無意識を形にしてみるのだ。
全員に聞き終われば、
誰かが、そもそもこう思っていた、と口にするだろう。
その場の台詞で話が流れ出すこともあるし、
その台詞を強くするために、以前の場面を書き直して前振る必要があるかも知れない。
人間は、過去と現在だけがあるわけではない。
未来も同時に存在する。
それは量子力学的なことではなく、
人には「つもり」があるということだ。
それは強ければ動機や目的に、
弱ければ無意識の願望や無前提のつもりになる。
無理な質問を投げ掛けてもいい。
「もし今問題になってることが、全部やんなくていい、に突然なったら何したい?」
「今家帰ったら何したい?」
「そもそもその願望を実現するのは、いつどうするつもりだった?」
「今なに食べたい?」
「明日何時起き?」
などだ。
質問をすることで、意識に上っていなかった無意識が明らかになることがある。
それらを、
今書けなくなったシーンの登場人物、
または今登場していない人物全員に、してみよう。
あ、俺は(無意識に)そう思っていたのか、
という発見が必ずあるはずだ。
話の進行する勢いが、完全に0になる訳はない。
人には無意識に思う未来への願望や当然の期待があるはずだ。
(例えばバレンタインにプレゼントしたら、お返しの期待があるものだ。
停滞しやすいのなら、このような次の期待とセットのイベントをやると良い)
それを見つけて、以後の雪だるまの芯にするとよい。
話の行方は、
謎の解明だけとは限らない。
お話とは、人間たちのわらわらである。
その場の人間たちがどう考えているかで、話の行方はどこにでも行く。
それがカオスにならず、
一筋の秩序になったとき、お話となるのだ。
書けない病は、その秩序がカオスになってきたときだ。
今までの筋を思い起こして、
その先を見ると、秩序の方向に向かうかも知れない。
本当は、どこのページでも面白くて引き付けられ続けるものを書きたい。
しかしそのテンションが下がることが嫌だから書けない病になるのだ。
話を進めることを優先しよう。
そこはちょっと面白くないところになるが、
リライトの時に更に面白くすればいいだけのことだ。
乗りきって、最後まで書くことが大事だ。
書かれなかった物語は、0本だ。
最後まで書いた物語は、1本だ。
その差は大きい。それを100回繰り返すと、0本対100本になる。
2014年11月03日
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