2014年11月03日

神がかってるとき、神がかってないとき

神展開や神落ちや神回などと呼ばれる、
神がかった部分はどうすれば訪れるだろうか。

単純な話だが、神がかった経験を積むことだ。


風魔で言えば、5、7、10話あたりがそれに相当するだろうか。
神回だけではなく、風魔はあらゆるところに神が降りているのだが。
(6話とか。そもそも1、2話とか。11話とか)

神がかった部分が出来た経験はあなたにあるだろうか。
ないのなら、創作の楽しみを知らない、
まだ創作の初心者だ。

創作のどこかで神がかった瞬間はやってくる。
大抵、最初の閃き、途中のどこか、ラスト付近で。


神がかった状態では、
創作に苦はなく、書いても書いても楽しい。
思いつきが即名作になり、
思いつくというより、自動書記に近い状態だ。
すべてのアウトプットがことごとく面白いハイパー状態だ。
トランス状態、狐つきや巫女状態に近いと思う。

そして重要なのは、
神がかった確変状態は必ず終わりがあることだ。
それが終わったら、普通に戻る。
それどころか、多分普通よりダメになる。
パワーを使い果たしたヒーローが変身が解けて無防備になるような、
虚脱状態に陥る。
書けない病の原因のひとつはこれでもある。
書けたときが実は確変状態で、書けないのが通常かも知れないのだ。

神がかった状態は、意図的には来ない。
来ないから、当てにしない。
来たらラッキーだけど、来る前提でスケジュールを組まないことだ。
締め切り間際に追い込まれて、神がかった集中力で完成させた経験は誰にもあるだろうが、
それを前提にしないことだ。
次も神が降りる保証はない。


さて、神がかるには、方法がないでもない。
自分の生体リズムを知ることである。
夜型や朝型や午後イチなど、自分の調子のいい時間を知ること。
(それには、ある程度規則的に生きること)
そして、日単位、週単位のバイオリズムを知ることもいい。
僕は四柱推命の12日周期のバイオリズムをよく使う。
三日書いて一日休んで俯瞰して、ピークを一日書いて一日休んで、
三日普通に書いて、
その後確実に三日休む(文字うちしたり絵を描いたりする)、
というリズムが自分に合っている気がする。
真ん中もしくは後半に神が降りやすい。

自己暗示も含めだと思う。
今日はいいこと思いつく日だから安心してアイデアを出しまくれる、
みたいなことがあると、思いきれるものだ。
スポーツでも物書きでも、緊張していては地力が出せなくなる。


神がかる為の条件があるとすると、
十分に周囲を固めて、想像の翼を広げられるようにしたとき、
だと思う。
沢山沢山その下準備をするほど、
そして地道な部分を書けば書くほど、
神がかった部分が生まれやすい。

脳的には、膨大な入力情報を整理する過程で、
何かのスパークが起こり、連鎖的にそれが続くようなイメージだ。
だから情報を消費し終わったらそれが終わり、
次のスパークまでは同じだけの情報を入力しなければならないのだろう。
つまり、神がかった瞬間とは、
カオスな状態から一気に秩序が生まれるときだと思う。



ちなみに、麻薬はこれを人為的に起こせるらしい。
神がかった状態前提でスケジュールを組んだが、
神が降りない為追い詰められて手を出す、心の弱いクリエイターが多いそうだ。
LSDなどの幻覚系はとくにその作用が強い。
しかしながら、現在の脳の状態から無理矢理スパークさせるのだから、
それが終わったときには脳が数%縮まざるを得ない。
しかも中毒性があるから、
回復しきる前に辞められなくなって脳が縮み続けるだけである。
(経験者の話を聞いたが、その時は凄いアイデアを思いついた、
と思っているが、シラフに戻るとひどい内容だと分かるらしい。
それでさらに追い詰められて服用に歯止めがかからなくなるそうだ。
酒に溺れる心理と基本的に同じである。まだ酒のほうが実害が少ない)
一回だけ成功したいか、ずっと成功し続けたいか、
自分の人生だから好きに決めてよいが。
ちなみに歴史的には、シャーマンや巫女は麻薬を使ったそうである。
人為的に幻覚を見て、それを神託としたのだとしたら底の浅い話である。

我々ストーリーテラーは、そんなもの使わなくても、
いくらでも頭のなかに幻覚を作れる。
その語り部だから。


さて、
創作も長いことやってると、
ある程度脳内麻薬のコントロール出来るようになるものだ。
集中力が高まり、ある種の高原状態になることは、
クリエイターなら誰もが経験する瞬間だ。
スポーツマンならゾーンのような。
単純作業の末そうなる人もいるし、
そうなりやすい方法から入る人もいる。
僕の場合は白紙を前に考え始めるときだ。
(いつもの筆記用具さえあれば、場所は僕の場合関係ない)

その先に、どこかで神がかる瞬間があると思っている。


さて、神がかってないときでも、
そこそこのレベルが保てるように鍛えておこう。

調子の悪いときにどれだけ負けないかだ、と麻雀好きの明石家さんまが言っていた。
笑いが滑るときにも、どれだけ次の笑いへ回復するかだ、とも。

調子には当たり外れがある。人生でもだ。
神が来なくてもそこそこのレベルが保てるとき、
神がかった状態がラッキーにも来れば、名作になるだろう。
ラッキーが来なくても、そこそこ面白い話になる。
どっちに転んでも、地力があるということだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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