たびたび書いている、デジタルは人を幸せにしない話。
ときどきアナログに戻ると、
手数が少なくて驚く。
デジタルはオペレーションの回数が多い。
クリックの回数に万歩計つけてみたり、
マウスのドラッグに走行計つけると、どれくらいになるか計ってみたいものだ。
ひとつのものを仕上げるために、
オペレーションが多いのは、結局手間がかかっているということである。
アナログは圧倒的に手数が少ない。
手や目や頭が予測して、無駄をなくすからだ。
(そのように自動化しないと、アナログで作業をすることが難しい)
映像編集を考えよう。
昔は、編集点を決めるのは命がけだ。フィルムを切ったら元に戻せないからだ。
(スプライシングテープで出来ないことはないが)
だから編集点は一発で決めた。
何回決めても同じフレームで止まるだけの、頭と目と手の感覚の鋭い人だけが、
編集の達人になれたのである。
ところが、今の映像編集は何回でもクリックでき、何回でもアンドゥできる。
編集点を1回しかクリックしない、という条件で映像編集を一度してみたまえ。
現代ではありえないだろう。
実際デジタル編集で、何回ぐらい編集点の変更があるだろう。数回?数十回?
それは、手数を増やしているだけだ。
デジタルは楽さによって、裾野を広げた。
アナログは技能の習得しか技能の術がなかったから、
裾野なんかなく、どのレベルも高かった。
デジタルは裾野を広げたかもしれないが、全体のレベルを下げたのだ。
アナログなら一発で決めることが、デジタルではものすごい手数が必要になっている。
写真のシャッターチャンスを考えれば分る。
その後の現像やカラコレを考えても分る。
「見る」という行為の簡単さについても、デジタルはアップやダウンロードの手数がかかる。
これだけ映像機材が便利で安価になっても、
優秀な監督がじゃんじゃん出ないのはなんでだろう、
とあるプロデューサーが言っていた。
鋏が普及したからといって、影絵作家がばんばん出てきたわけではないことと同じ、
と僕は返してみた。
デジタルは、手軽になんでも出来るような錯覚を覚えさせることで買わせる商品である。
結局、手数が増えていることに初心者は気づかない。
デジタルでは本質を学べない、という僕の経験則も、
その手数の多さに対してリターンが少ないことに起因するかもしれない。
文章がうまくなるにはどうすればいいか。
どれだけキーボードを叩いても上達しないと思う。(上手くなるのはブラインドタッチだ)
手で書き、人と話をする、アナログの中でないと上達はしない。
文字打ちの変換は、手で書くものに対して手数を増やしている。
(デジタルの利点、きれいに書けるかどうか、コピペしやすいかどうかなどは、
文章の中身の上達とは関係がない)
2014年11月03日
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