見た目のことや絵的な面白さのことを、
僕はガワの面白さと呼び、話の中身の面白さとは区別している。
だが、ガワを馬鹿にしている訳ではない。
中身がなくガワしかないものを馬鹿にしているだけだ。
ガワは、中身があるものにとって、強力な武器になる。
ガワの使い方について。
まず魅力的な絵になりそうか、
というのがポイント。
絵の才能とは、デッサン力や構図力ではなく、
実は「絵になりそうなもの」を見つける力なのである。
その初手から、絵の才能は違うのだ。
絵になりそうなものでなくても、
あるものを並び替えると絵になりそう、でも構わない。
それが魅力的な絵になりそうであれば、なんでもよい。
また、絵になりそうなこと(モチーフ)のよさには順列がない。
あの絵よりこちらの絵のほうが「優れている」「勝っている」はない。
あるとすると、同時代性があるとか、いまどきとか、
流行ってる、見たことがない、ぐらいのものだ。
脚本には、それが分かりやすく示されているとよい。
超能力をクラスの皆の前で発揮する場面、とか、
雲より高い大天狗の肩に乗せられ遠野へゆく(「てんぐ探偵」)、とか。
実際、製作委員会やプロデューサーは、
これが「使える」かどうかでシナリオを見ている節がある。
漫画原作の絵になる場面が、
字だけのシナリオよりも、企画会議が通りやすいのは、
魅力的な絵だからだ。
魅力的な絵は、それだけで(中身と関係なく)人の心をつかむ力がある。
何故なら、ストーリーをわざわざ読まなくてよいからだ。
二つの理由がある。
ビジネスを進める途中で、魅力的な絵のほうがスピードが速い。
また、観客も絵で引っ張ることができる。
桃太郎CMは、絵だけで驚かせるハッタリの極致だ。
話題になりやすい。
それは、ストーリーを理解しなくて絵に飛びつくバカが多い、
という現実的なIQ分布を示している。
だから、観客も製作委員会も、魅力的な絵で「釣る」のである。
もうひとつの理由は、
ストーリーは、好みが分かれるということだ。
ストーリーは、理解すればするほど、中に入れば入るほど、
人間の深い部分に触れる必要があるし、
それがよいストーリーだ。
が、深い部分であればあるほど、人の千差万別によって、
好みが分かれてしまうのだ。
勿論、ストーリーを書く者はなるべく全員に感情移入出来るようにつくる。
しかし、人には偏見がある。
今まで失敗した詰まらないストーリーを思いだし、
今から見ようとするものの予測を立てる。
たとえばホラーを見ない人はどんな名作だとしても一生見ない。
だから、ストーリーは好みで選別されがちだ。
好みだけではない。評価もバラバラになる。
良かった人もいれば、悪かった人もいる。
様々な人がその世界の中に入るのだ。
強く反応する部分や、意図と反して伝わる部分もある。
だから、ストーリーとは本来「測定できない、予測できない」ものなのだ。
どんなに出来のいいストーリーでも、
小説の読者以上の人数の観客を想定している映画では、
うまく評価される保証がないのだ。
この二つの理由のマリアージュが、
絵で釣る、という結論である。
だから、いい映画というのは、
絵がすごくよくて(俳優がいい、CGが凄い、
世界観がいい、衣装やロケーションや主題歌などの具体あり)、
しかもストーリーもいいんですよ、
と、必ず二段階で、しかもこの順に評価される。
駄目な映画は、
絵は良かったのにストーリーが駄目だった、
絵は地味で見る気がしなかったけど、評判がよくて見たらなかなかだった、
のどちらかだ。
あなたのつくるシナリオは、
最終的にこのような評価をされることを想定して書いているだろうか。
ガワを利用しよう。
ガワで釣ろう。
凄い絵が撮れそうなシナリオを考えよう。
(昔なら凄ければなんでも良かったが、昨今予算厳しいなあ、も考慮の上だ。
その妥協点探しが難しい)
面白そうな絵なら、ストーリー関係なく、
いろんな人が食いつくのだ。
そのときに初めて、練り込んだ面白い話を見せればよいのだ。
それが結局は絵による記憶になるのが、映画というものだ。
話の志と同じくらい、ガワに志を。
(そのかかる手間は100:1ぐらいだけど)
そのときにはじめて、マリアージュが上手くいく。
2014年11月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック