例え登場人物が多くとも、
実質少なく見せることが可能である。
類似と対比によってだ。
AとBの関係と、
CとDの関係が、相似型のように似ていると、
そこに類似と対比が起こる。
具体的には、風魔の10話、
小次郎と姫子、
蘭子と竜魔、
という二組のカップルの類似と対比が分かりやすい。
どちらも、
好きな思いを告白する、という点では類似である。
男から女への告白、女から男への告白、
忍びが人を愛すること、人が忍びを愛すること、
姫子は心を開いて自分の悩みを話したが、
竜魔は教条主義の話しかしなかったこと、
成功と失敗、
などが対比的である。
このような、関係の関係(関係が似ていることと対比的であること)
があることによって、
四人の物語(プラス副団長の片思い、計五人、
絵里奈の話も入れれば計六人の物語)が、
その人数の複雑さよりも、
実質スッキリして見れるのである。
小次郎、姫子、絵里奈に三人の物語の構造があり、
蘭子、竜魔、副団長に三人の物語の構造があり、
それぞれも類似的(三人目が片思い)であることも特徴的だ。
また、小次郎と蘭子の間に二人の物語の構造、
友情的構造があることも、対比的であることを強めている。
(序盤の相談する場面、ラストの縁側の場面)
こんなことは、見ている側にはあまり意識されないだろう。
作るときにはじめて意識するものだ。
(竜魔に蘭子が振られることは、意味があっただろうか。
ここで恋が叶ってしまっては、
きっとその後の面白さがなくなってしまっただろう。
ここでの成功と失敗が、その後の小次郎と蘭子の成長の、
原動力となったのだ。その後ってもあと3話だけど)
夜叉側にも三人の物語の構造がある。
武蔵、壬生、陽炎だ。
そして、風魔対夜叉という二人の物語の構造に、
陽炎と壬生が三人の物語の構造を持ち込んで話を面白くしている。
結束を是とする風魔サイドと、
揉め事が常の夜叉サイドとの、対比的関係だ。
何かと何かが似ている、
似ている何かで違うところを見つける、
は、関係性の本質である。
類似と対比は、複雑な状況を把握しやすくなる。
n人の物語を書くときの参考にされたい。
2014年11月09日
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