2014年11月09日

n人の物語2

例え登場人物が多くとも、
実質少なく見せることが可能である。

類似と対比によってだ。


AとBの関係と、
CとDの関係が、相似型のように似ていると、
そこに類似と対比が起こる。

具体的には、風魔の10話、
小次郎と姫子、
蘭子と竜魔、
という二組のカップルの類似と対比が分かりやすい。

どちらも、
好きな思いを告白する、という点では類似である。

男から女への告白、女から男への告白、
忍びが人を愛すること、人が忍びを愛すること、
姫子は心を開いて自分の悩みを話したが、
竜魔は教条主義の話しかしなかったこと、
成功と失敗、
などが対比的である。

このような、関係の関係(関係が似ていることと対比的であること)
があることによって、
四人の物語(プラス副団長の片思い、計五人、
絵里奈の話も入れれば計六人の物語)が、
その人数の複雑さよりも、
実質スッキリして見れるのである。

小次郎、姫子、絵里奈に三人の物語の構造があり、
蘭子、竜魔、副団長に三人の物語の構造があり、
それぞれも類似的(三人目が片思い)であることも特徴的だ。
また、小次郎と蘭子の間に二人の物語の構造、
友情的構造があることも、対比的であることを強めている。
(序盤の相談する場面、ラストの縁側の場面)

こんなことは、見ている側にはあまり意識されないだろう。
作るときにはじめて意識するものだ。

(竜魔に蘭子が振られることは、意味があっただろうか。
ここで恋が叶ってしまっては、
きっとその後の面白さがなくなってしまっただろう。
ここでの成功と失敗が、その後の小次郎と蘭子の成長の、
原動力となったのだ。その後ってもあと3話だけど)

夜叉側にも三人の物語の構造がある。
武蔵、壬生、陽炎だ。
そして、風魔対夜叉という二人の物語の構造に、
陽炎と壬生が三人の物語の構造を持ち込んで話を面白くしている。
結束を是とする風魔サイドと、
揉め事が常の夜叉サイドとの、対比的関係だ。



何かと何かが似ている、
似ている何かで違うところを見つける、
は、関係性の本質である。

類似と対比は、複雑な状況を把握しやすくなる。

n人の物語を書くときの参考にされたい。
posted by おおおかとしひこ at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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