連載開始からファンである、
漫画「デストロイアンドレボリューション」(森恒二、YJ掲載)が、
第二ターニングポイントを迎えた。
(リアルタイムで追いかけている人と、
このブログを読んでいる人と、
脚本理論をきちんと理解している人でなくては、
分からないことかも知れない)
この物語は、軸に二人の物語の構造を持っている。
二人の男が出会い、一端は協力関係を築く。(一幕)
その関係は蜜月関係であり、
うまく行くかに見えたが、
第三者が現れることで亀裂が入る。
第三者が状況をかき回したことにより、
状況は後戻りできなくなった。
二人の関係は元に戻るのか。
それとも、お互い殺しあうことしかないのか。
それを決意させる、決定的な事件が起こる。(二幕)
決定的な事件とは、
ユウキが宇宙ステーションを乗っ取り、
神を宣言したことだ。
ここから第三幕がはじまる。クライマックスの、殺し合いだ。
(実際には、女刑事の件や幼馴染みの女の子の件などで、
対決を遅らせるかも知れない)
この物語はマコトとユウキという二人の男の物語だが、
全くこれはラブストーリーと同じ構造を持っている。
たとえば、僕がよく例にあげる「ノッティングヒルの恋人」と、
二人の物語として、同じ構造をもつ。
二人が出会い、蜜月関係をもち、
第三者に引き裂かれ、
再び蜜月関係に戻る、という構造と同じである。
男女の場合、結末は結婚になるのだが、
男同士の場合、大抵殺し合いになる。
それは、闘うことが愛することになるからかも知れない。
三浦健太郎「ベルセルク」のガッツとグリフィスも同じ構造だ。
「あしたのジョー」の矢吹丈と力石徹も同じ構造だ。
梶原一騎は、巨人の星、あしたのジョー、愛と誠を、
三部作であると認識している。
父と子、男と男、男と女、という違いはあるものの、
二人の物語として、これらは巨視的に同じ構造をもつ。
二人の物語は、二人の距離が焦点である。
ラブストーリーまたは殺し合いという、表裏の違いがあるだけだ。
(だから腐女子は、このような物語に敏感だ。
ラブストーリーの匂いを感じるからだ。
おそらく、ユウキ×マコト、グリフィス×ガッツ、力石×丈は、
定番だろう。主人公が受けに回るのは、女の本能である。
そうじゃない見た目から入るのもあるだろうが)
とりあえず思いついただけで、
例は沢山あるだろう。
二人の物語は、最も単純な構造だからだ。
「はじめの一歩」の一歩と宮田、「リングにかけろ」の竜児と剣崎もか。
ボクシングが多いのは偶然ではない。
肉体でのクライマックスになることは、
ラブストーリーで言えばセックスと同じだからだ。
少々異なるが、ジョジョのジョースター一族とディオの関係もそうだろう。
そんなことをいい始めたら、
ライバルものは全部ラブストーリーではないか、
となってしまう。
そうなのだ。
ライバルものは、愛し合うかわりに、殺しあう物語なのだ。
僕は少女漫画は明るくないので、
ガラスの仮面とかエースを狙えくらいのスポコン古典しか例が出てこないのだが、
女同士のライバルものでもこの法則が成立するかどうかについては、保留する。
NANAとかどうなったっけ。
そういえば女同士ものでは、映画「テルマ&ルイーズ」では、
二人は最終的にキスしなかったっけ。
二人の物語は、二人の距離が焦点だ。
離れるかくっつくしかない。
追うか追われるかしかない。
そこに第三者を絡めて話を転がし、変化をつけるしかないのだ。
つまり、話としては単純なのだ。
単純ゆえに、工夫しなければならない。
その工夫が、オリジナリティーになる。
デストロイアンドレボリューションでは、超能力ワンネスを分かち合ったテロリスト「問う者」。
ベルセルクでは、不死を求め悪魔に魂を売った男と、刻印の黒い剣士になった男。
あしたのジョーでは、刑務所のボスとやさぐれたチンピラ。
ジョジョでは、一族の血統と不老不死の吸血鬼(と何故かスタンド)。
第三者も工夫のしどころだ。
力に溺れた男大槻、千人隊長キャスカ、白木お嬢様などだ。
このトライアングルの面白さが、
物語の面白さに直結するジャンルなのだ。
ついつい漫画の例が多くなってしまったのは、
キャラが実写よりも立つからかも知れない。
実写ではどうだろう。
やはりボクシングのロッキーとアポロは、そうかも知れない。
(腐女子的に、アポロ×ロッキーがあり得るかどうかまで、
僕の感性はついていけてないが)
11/10追記:マコトとユウキが逆でしたね。直しておきました。
2014年11月09日
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