2014年11月10日

産後の肥立ち

作品を仕上げたあと、自分の中にぽっかりと穴が開く。
達成感とともに、喪失感がある。
次の作品を生めるようになるまで、
しばらくこの状態は続く。

僕は女ではないので出産の経験はないが、
自分の一部を完成状態まで育てて外に出したことは沢山ある。
女性の産後の肥立ちは、6から8週間ぐらい見るそうだ。

僕らの創作の、産後の肥立ちはどうだろう。


赤ん坊と違って、
創作はいくつもを頭の中で育てることは出来る。
あるものを完成させたとしても、
もう別のものが育ちつつあることもある。

身体は、まだ創作中の癖を残している。
あそこの台詞をああしたほうがいいんじゃないかとか、
もっといい台詞を思いつくこともある。
それは、出来る限りメモしよう。
その中から拾えるものがない訳ではない。
が、大抵余計なものになる。
シンプルで、その場の文脈に体を浸して、
そのはりつめた空気で出した台詞より、
生きてない、説明的な台詞になったりする。

もっとも、更に良いものが出る可能性は0ではないから、
それはメモしておくとよい。
しかし、すぐに検討に入ってはいけない。
完成させたものは、一週間は一切見ないほうがいい。
メモはとりつづける。

そして、忘れた頃に、そのメモと完成作品を比較することがあるかも知れない。
しかしそのメモでは、劇的によくなることはない。
96が97になるぐらいのことだと思う。
70が95にはならない。70は71になるだけだ。
大きな点数を決めるのは、構造の段階、
つまりプロットの段階だな、ということが、書き終えたあとほど染みてくる。

だから、労力はそこにではなく、次回作に使うのが正しい。


たっぷり体を休めよう。
風呂に入り、気の済むまで寝よう。

もう調べものをしなくていい。
もうあれこれ人物の気持ちを考えなくていい。
もう言い回しの工夫をしなくていい。
もう机に向かわなくていい。
上手い酒を飲み、誘いを断っていた人と会ったりしよう。
しばらく作品を忘れ、
書いてなかった頃の生活を取り戻そう。

多分、映画を見たくなる。
しかも新作だ。
他のやつらはどうやってんだ?と気になってくる。
いい傾向だ。
作品の完成は過去であり、現在はもはや過去ではない。
新作映画を見て、たいしたことないぜ、と思うか、
やられた、俺はまだまだだ、と思うかは、
色々あるだろう。
しかし、その戦線の中にいることだけは確かだ。

過去作品を直したって、未来には繋がらない。
新しいアイデアを思いつく生活に戻ろう。

勿論、生みっぱなしではなく、育てるケアもしよう。
人に見せたり、意見を聞いたりすることはとても大事だ。
世間に受け入れられやすい形に出来るのなら、
そのような加筆訂正をすることもあるだろう。
しかし表面上の訂正をしたって、
ちっとも本質は変わらないことが、自分で分かるだろう。
本質はプロットの段階で現れていることが、
自覚的になるだろう。

装飾したり、過剰な装飾を外してシンプルにしたりしよう。
その本質を上手に提供することだけを考え、
本質を誤魔化すことに装飾を使うことはやめよう。
その装飾で騙される人しか、あなたのファンにはならない。


次回作を書くとしたら、と妄想しよう。
どんな感じのもの、というもやっとしたものでいい。
完成作品の続きを禁止する。
その上で、あの感じをもっと深くやってみたい、
とかを想像するのだ。
とすると、別の舞台でそれがあるとしたら、
と考えるとよいだろう。


産後の肥立ちは、創作の場合、
最低一週間、長ければ半年ぐらいか。
一本書いて、何年も書けなくなる人もいる。
人と作品次第だ。
何人もポコポコ生んだ昔の人みたいに、
ポコポコ生める人もいるだろう。

僕は風魔の撮影が終わったとき、
心底へこんだ。夢のような時間の終わりを知ったからだ。
三ヶ月以上喪失感は続いたと思う。

産後の肥立ち。
あなたが作品を作り続ける人生を選ぶなら、
作品の数だけやってくる。

それに慣れることも、
作家人生というものだ。



少し経てば、また神が降りてくる。
それに備えて、今は体作りや情報のインプットをするべきだ。



これを書いているのも、てんぐ探偵第三集が出来たから。
少し寝かせつつ、最後に整えてから世に出そうと思います。
posted by おおおかとしひこ at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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