2014年11月10日

小説と映画の違い:最良の台詞

小説を書いていて思うこと。
映画に出来て小説に出来ないことがある。

ハリウッドの格言に、
「最良の台詞は、無言である」というのがある。
小説では、これは(多分)出来ない。


映画では、言葉による説明はなるべく避ける。
絵で見てわかるようにするものだ。

それは設定などもそうだが、
人物の気持ちについても同じである。

台詞は嘘をつくことも出来る。
この人は言っていることと思ってることが違うぞ、
という芝居すら可能だ。

しかし、言葉で嘘をつきながら、
その人の表情や目だけは真実を語る。

だからその人の本当は、台詞でなくて表情や目だ。

いちいち自分の思っていることを言葉にしなくても、
その人の言いたいこと、思っていることは、
察せられるのである。
文脈で。俳優の名演技で。

シナリオ上、これは「…………」などの無言台詞で書かれることが多い。
何かを見つめて、とか、
黙る、とか、
微妙な表情、とか、清々しい顔、
など、ト書きで書かれることも多い。

台詞は少ないほうがいい。
なるべく、その人の真実を、
嘘が混じる言葉でなく、
その人の表情や目で分かるべきだ。

それが絵で見せる映画の真骨頂のひとつだ。



これが、小説では難しいのだ。
地の文でその表情を逐一描写するのも野暮だ。
見て分かるものを、読んでも分かるようにするのは野暮だ。
逆に小説では、「見て分かる」ものが存在できない。


例えば小説版てんぐ探偵では、
心の闇が外れるその瞬間、
映画ならば、その人の表情だけで、
心が晴れやかになったことを表現できる。
音楽の助けがいるかも知れないが、
もうこの人に心の闇が入り込む隙間はないな、
と思えるような、
物語の進行の結果見せる表情で、説得力を持つことが出来るものだ。

ところが、僕の文章力がないせいか、
毎回これがうまくいかない。
そこで、何か一言言うことで、そのきっかけで心の闇が外れる、
という演出に頼ることが多い。
映画ではそれは余計な説明台詞に相当する。
文脈から明らかなその人の表情で、説得できる。

ところが、小説には見て分かるものがない。
たから言葉にするしかないのである。


小説の武器は言葉だ。
それが故、言葉でしか闘えない。

言葉に出来ない人生の重要な瞬間を、
おそらくは言葉で書かなくてはならない。
(多分その場にあるものを描写しても意味なくて、
その場にないものを書くことで埋め合わせるのだろう)

映画は、言葉に出来ない人生の重要な瞬間を、
映像体験として描くことが出来る。
(そしてそれこそが最良である)

その差だ。


神がいると思う瞬間、
あの子が好きになった瞬間、
何もかもが分かった瞬間、
これをもう一度味わえないと思った瞬間、
などなどを、小説で表現することはとても難しいのではないか。
映像ならばいい光といいアップで、それまでの文脈があれば、
無言の台詞で表現できる。

その差があると思う。



僕の文章力がないだけかも知れないので、
もし例があれば教えてください。
posted by おおおかとしひこ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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