小説を書いていて思うこと。
映画に出来て小説に出来ないことがある。
ハリウッドの格言に、
「最良の台詞は、無言である」というのがある。
小説では、これは(多分)出来ない。
映画では、言葉による説明はなるべく避ける。
絵で見てわかるようにするものだ。
それは設定などもそうだが、
人物の気持ちについても同じである。
台詞は嘘をつくことも出来る。
この人は言っていることと思ってることが違うぞ、
という芝居すら可能だ。
しかし、言葉で嘘をつきながら、
その人の表情や目だけは真実を語る。
だからその人の本当は、台詞でなくて表情や目だ。
いちいち自分の思っていることを言葉にしなくても、
その人の言いたいこと、思っていることは、
察せられるのである。
文脈で。俳優の名演技で。
シナリオ上、これは「…………」などの無言台詞で書かれることが多い。
何かを見つめて、とか、
黙る、とか、
微妙な表情、とか、清々しい顔、
など、ト書きで書かれることも多い。
台詞は少ないほうがいい。
なるべく、その人の真実を、
嘘が混じる言葉でなく、
その人の表情や目で分かるべきだ。
それが絵で見せる映画の真骨頂のひとつだ。
これが、小説では難しいのだ。
地の文でその表情を逐一描写するのも野暮だ。
見て分かるものを、読んでも分かるようにするのは野暮だ。
逆に小説では、「見て分かる」ものが存在できない。
例えば小説版てんぐ探偵では、
心の闇が外れるその瞬間、
映画ならば、その人の表情だけで、
心が晴れやかになったことを表現できる。
音楽の助けがいるかも知れないが、
もうこの人に心の闇が入り込む隙間はないな、
と思えるような、
物語の進行の結果見せる表情で、説得力を持つことが出来るものだ。
ところが、僕の文章力がないせいか、
毎回これがうまくいかない。
そこで、何か一言言うことで、そのきっかけで心の闇が外れる、
という演出に頼ることが多い。
映画ではそれは余計な説明台詞に相当する。
文脈から明らかなその人の表情で、説得できる。
ところが、小説には見て分かるものがない。
たから言葉にするしかないのである。
小説の武器は言葉だ。
それが故、言葉でしか闘えない。
言葉に出来ない人生の重要な瞬間を、
おそらくは言葉で書かなくてはならない。
(多分その場にあるものを描写しても意味なくて、
その場にないものを書くことで埋め合わせるのだろう)
映画は、言葉に出来ない人生の重要な瞬間を、
映像体験として描くことが出来る。
(そしてそれこそが最良である)
その差だ。
神がいると思う瞬間、
あの子が好きになった瞬間、
何もかもが分かった瞬間、
これをもう一度味わえないと思った瞬間、
などなどを、小説で表現することはとても難しいのではないか。
映像ならばいい光といいアップで、それまでの文脈があれば、
無言の台詞で表現できる。
その差があると思う。
僕の文章力がないだけかも知れないので、
もし例があれば教えてください。
2014年11月10日
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