2014年11月10日

思うことを全部言ったら、決断タイムだ

人と人が会う。
話をする。
今まで思っていて言えなかったことも、洗いざらい言う。

そのとき、人は次どうするかを決める。



人は、なかなか思っていることを全部言わない。

言ったとしても引かれるだろう、という恐怖や、
分かってくれないだろう、というあきらめや、
全部を言う必要はない、などの決め付けや、
言いたくない、などのやんわりとした拒否もある。

それは、その人と相手との、人間関係のことでもある。

その程度までしか言わないレベルの人、という線引きを、
その人の中でしている。
(ここまで初期設定で、セットアップでやるべきこと。
すべてを第一幕でやることもあるし、後付け設定で二幕にやることもある)


それが、何かの事件が起きることで、
その言っていないことを言わなければいけない必要が出てくる。

言ったほうが事件の解決に寄与するとか、
言ったことで人間関係を動かす必要がある、
などの、事件解決の文脈のなかでだ。

今まで会えなかった人が会うこともある。
事件とは、今まで固定されていた人間関係が、
動かざるを得ない波紋なのである。


そこで、人と人が会う。
知らなかったことをはじめて知る。
言わなかったことを全部話す。

仮に今回は黙っておくことがあったとしても、
いずれ劇中では、すべてのことを話すだろう。
そのように話の方向を持っていくのだ。



そこでは、思いの丈や、秘密などを、洗いざらいしゃべるだろう。
特に後半は鬱屈した思いや、隠され続けた秘密が暴露される。
崖の上の犯人の告白もそうだ。

しかし、その言いたいことを全部言ったとして、
それで終わりではない。

言いたいことを言ったら、情報の共有が起こり、
次の行動が起こるのである。


敵の情報を共有すれば、その弱点分析の作戦会議がはじまる。
相手の事情をすべて知ったら、自分に出来ることはないかという決断をする。
犯人の生い立ちは同情に値するが犯罪は犯罪だから逮捕し、
情状酌量の判断をするようにする。(刑事もので人情ものの基本)
家族の秘密を知り、離婚する。または一緒に住もうという。
AとBが付き合っていることが知れ渡り、失恋し、Cにアタックすることに。

などなどだ。

その情報がすべてだ、ということで行動を促してもいいし、
その情報を一部鵜呑みにして行動したがゆえに誤る(勘違い)、
という劇的アイロニーを仕込んでも良い。


いずれにせよ、思うことを全部言う。
そのあとに、誰かが何かの行動をする。
それが物語だ。

それが何回あるか、数えてみよう。
それがターニングポイントの数になるだろう。



若手の短編企画を見ていると、

初期設定→事件があり集まって、言いたいことを全部言う
→はじめての行動→終わり、

というパターンがあまりにも多くてびっくりした。
言えなかった不満を爆発させて、皆が聞いて、よしよし、
というメアリースーコースばかりだった。

その行動が、最初のターニングポイント、つまり、きっかけである。
起承転結なら起だ。
三幕構成なら、ファーストロールの中盤である。
それは冒険のはじまりであり終わりではない。
そこから行動し、リスクを超え、何がしかを勝ち取ることが物語である。


人を集めろ。言いたかったことを全部言わせろ。
次に、誰が、何をする? 話は、そこからだ。

そのときに全員を集めないのがコツかも知れない。

誰かと誰かを話させ、
誰か(おおむね主人公)が行動し、
また誰かと誰かと会い、をくり返すと、話が進行するかもしれない。
最後の最後で全員が集まり、(残された)言いたいことをいい、
その雌雄を決する最後の決戦、という構造が、物語かも知れない。

逆に、ラストまで全員を会わせず、
部分で会わせることが、話を引っ張る方法論かも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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