表情だけで語る例で、
漫画「ブラックジャック」を出してみよう。
ハッピーエンドのときの、
相手のなんとも言えない表情。
ビターエンドのときの、
ブラックジャックの苦悩の表情。
ブラックジャックは、どのエピソードも、
最後の主人公の顔が全てを物語るように、
構成されていることが多い。
大抵は無言だが、
「先生愛ちてゆ」などのようにいい台詞を伴うこともある。
僕の愛するエピソード、
師匠本間先生が死んだときのラスト、
「人間が生き死にを自由にしようなんて、
おこがましいとは思わんかね…………」
の「…………」に注目だ。
このときブラックジャックは顔を伏せ、その表情は分からない。
しかし顔を伏せる、という芝居の「間」を「…………」で表している。
(前項の、最良の台詞の指示を「…………」ですることを思いだそう)
つまり、ブラックジャックは、
優れて映画的な表現手法なのだ。
ハリウッドの格言、最良の台詞は無言である、
を、毎回毎回描いて見せたのだ。
漫画の神様がたどり着いた境地は、
ラストの顔で、何もかも語ることだったのだ。
ちなみに「てんぐ探偵」は、
心のブラックジャックだと思って、話をつくっている。
一話完結スタイル、色々な所に出張すること、
人間ドラマごと引き受けて「治療」することなど、
形式的には近い。
(元々妖怪退治譚というものは、「恨みを晴らす」ことをする人間ドラマだが)
だから、シナリオでは多分、最後の表情に何もかも込めるようにするだろう。
小説では、台詞という言葉で勝負しているが。
2014年11月10日
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