「面白い話には、一定の法則や、決まった構造がある」
と考える。その法則の研究と、実践である。
「その法則にあてはまらない面白さ」が、
あるかも知れない。
あるとしたら、それは理論を追い越した、独自の面白さだ。
理論的な面白さではない面白さかも知れない。
いずれにせよ、理論が全てではない。
面白いかどうかが全てだ。
何も考えず面白いものが書けるなら必要がない。
過去の面白かったものの分析から得られるのが理論である。
未来にも理論が適用できることもあるし、
出来ないこともある。
僕が書いているのは、僕が分かっていることだ。
僕が意識化出来ていない僕の才能とかは、書くことができない。
(例えば風魔5話でラストの小次郎の台詞を入れたのは、
僕の本能で、当時は理論化していなかった)
そして、分かっていないことが本質的な面白さになることだってある。
理論は万能じゃない。限界がある。それを分かることも理論だ。
まあ、コツコツやるしかないってこと。
2014年11月11日
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