ネットで拾った小粋なジョークの例で。
ある男性が浜辺を散歩していると、小さなビンを見つけた。
家に帰ってその瓶を開けてみると、きらきらと輝く女の子が出てきた。
「私は妖精です。500年間この瓶に封じ込められていました。
助けてくれたお礼として一つだけ願いを叶えて差し上げましょう。」
おとぎ話のような展開に、男性は少し驚いていた。
その時、男性の目に今朝の新聞が見えた。
見出しは「イスラエルでまた自爆テロ」。
男性は言った。 「中東に平和を。」
しかし妖精は、
「中東の問題は宗教や石油、色々な問題かからみあっておいそれと解決はできません。
妖精の私にもできることとできないことがあります。他の願いはありませんか?」
男性は、
「では韓国人を知性的で、紳士的な民族にして下さい。」
妖精はしばし考えて、
「中東の地図を持って来て下さい。」
この例ではシーン尻がすなわち話の尻、
つまり落ちとなる例だ。
例えば話の途中にこういうギャグが挟まれているなら、
次のシーンは中東の平和に取り組む、
「行動」のシーンになるだろう。
また、小説や文字による文章だから、
このような説明台詞(一見説明ではないように、
巧みにカモフラージュされているところが上手い)
になっていることに注意したいところ。
映画ならば台詞に頼ることなく、
中東の地図を出す、とか、
男が持っている新聞を奪い、その地図を見て考え出す、
という、台詞のないアクション(無言の芝居)で挑むはずだ。
シーン尻が大事である。
シーン尻の台詞が使いこなせるようになれば、
アクションに変えることも出来るようになる。
そうやって話は続けるのだ。
2014年11月12日
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