変化を描くとはどのようなことだろうか。
まずは主人公の変化がきちんと描けるかどうかだ。
それは最初の状態をきちんと描くこと、
冒険が終わったあとの状態をきちんと描くこと、
変化の瞬間を描くこと、
の最低みっつが描けていることが肝要である。
何故主人公は変化するのだろうか。
それは、主人公の行動がリスクを伴うものだからだ。
勿論命の危険などを映画は描くものだが、
それはあくまで外的危険のドンパチに過ぎない。
本当のリスクとは、自分の弱点や弱さを晒すリスクである。
誰だって自分の弱点は人に見せたくないし、
ましてやそれを克服するなんて難しいことはしたくない。
ところがいい映画は、
必ず主人公の一番弱いものを克服しなければ、
一番の目的を果たせない、
という「試練」の形で障害を設定してくるものだ。
これを克服するのは、
クライマックスか、
その前の第二ターニングポイント前であることが多い。
後者の場合、大抵その前はボトムポイント(どん底)だ。
最悪の状況に追い込まれ、
自分の弱味を克服しなければ、
この最悪の状況を逆転出来ない、
というところまで主人公を追い込むのだ。
主人公には動機がある。
その達成のために、自分の弱点と向き合わなければならないのだ。
「愛と青春の旅立ち」では、
それはミッドポイントで起こる。
今まで悪ぶっていた主人公が、
一番話したくない弱味を、上官に告白する場面だ。
どうしても卒業しなければいけない理由を、
初めて人前で言うことで、孤立していた主人公が、
変わりはじめる。みなで協力するようになるのだ。
成長である。
つまり、変化とは、なんらかの成長を描くということなのだ。
成長しなければ、現状維持のままでは、
死んでしまう(物理的な死でなくともよい)、
のような状況に追い込むことだ。
そうすれば、人は成長せざるを得なくなる。
その結果、外的目的が果たせる、
というクライマックスを迎えるのだ。
(外的目的の達成が、内的成長を象徴する)
だから、一般的に、
成長前(弱点のある状態)、
動機や目的、
それがあるために克服して変化しなければならない場面、
克服のドラマ、
成長後、
などをきちんと面白くつくらないと駄目だ、
ということがわかる。
また、成長や変化を遂げるのは、
主人公ばかりではない。
登場人物全員が変化することが、映画という物語だ。
それがいい方向への変化が、ハッピーエンドだ。
主人公や協力者の奮闘の結果、
世界はよりよく変化した、というのがハッピーエンドだ。
その結果、登場人物は以前より良く変化した、
というのがハッピーエンドである。
主人公の冒険、すなわち、
外的目的の達成(それには内的成長が必要だった)の結果、
すべてが良い方向へ変化するのが、ハッピーエンドだ。
主人公の冒険には、世界を変えるほどの価値があったのだ、
とするのがハッピーエンドだ。
逆に、誰も変化しない、世界が変化しないものは、
ハッピーエンドではない。
主人公だけが得をしても、世界を良くしたことにはならない。
(少なくとも、主人公の味方ぐらいは得をして、なんらかの変化をしたいところだ)
さて、変化とは、
永遠の変化が望ましい。
つまり、「ちょっと変わったけど、すぐまた元に戻りそう」なのは、
変化やハッピーエンドとは言わない。
この影響のおかげで、「二度とあんな不幸は起きない」社会になった、
ということが肝心である。
主人公は永遠の変化をした。成長した。
二度とこの冒険より以前の、弱い自分に戻ることはない。
主人公の味方や、関わった人も変化した。
主人公の冒険の結果に、いい影響を受けたのだ。
その影響が強いので、二度とそれを忘れることはない。
世界は永遠の変化をした。
(世界の範囲は主人公の身の回りから、冒険で関わった範囲程度)
二度と悲惨なことは起きないだろう。
これが真のハッピーエンドだ。
だからカタルシスがあるのだ。
すぐ元に戻るんだろうな、では、詰まらない。
「スラムドッグミリオネア」など、スラムがなくなることはない、
という厳しい現実を持つ世界でも、
主人公とヒロインだけはこの町を出て二度と帰らなかった、
という主人公の周囲の世界(それはヒロインたった一人でいい)を、
永遠に変化させた、というハッピーエンドが待っている。
ちなみに、ダニーボイルは、全く同じ落ちを、
「トレインスポッティング」でやっている。脱出落ちである。
「128時間」も脱出落ちだ。彼はそれが好きなのかも知れない。
そのなかでもとりわけ「スラムドッグミリオネア」が
ハッピーエンドのカタルシスがあるのは、
ラストの四択の答えの落ち(あえて伏せよう)と、
エンディングのインド映画風踊りのふたつが効いていると思う。
良くできたハリウッド映画ほど、
主人公はきちんと成長し、
登場人物全員が変化し、
世界は永遠の変化をする。
(そして悪役だけが成長せず敗北する)
真のハッピーエンドを描く。
それは主人公の内的成長に価値があることを暗示する。
(外的目的の達成というモチーフBで、
内的成長というテーマAを描いているのだ)
これが出来ない実力の人間が、
ビターエンドとかバッドエンドで悦に入りがちだ。
変化や成長を描こう。
その面白さが映画という物語の面白さの本質だ。
自分を主人公にしてはいけない理由がこれだ。
あなたが執筆中に凄く内的成長をすれば別だが。
あなたは、世界が永遠の変化を遂げるほどの、
主人公の成長を描かなければならない。
そうでなければ、物語のカタルシスなどないのだ。
(風魔の小次郎を思い出すと良い)
2014年11月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック