2014年11月17日

面白い話のつくりかた

まず、地味だがしっかりした、いい人間ドラマを書こう。
次に、それを新しいビジュアルで表現しよう。
たったそれだけでいい。

新しいビジュアルは、出来れば内容と不可分なものが望ましい。
しかし絶対唯一である必要性はなく、
斬新でありさえすればそれでいい。
(マトリックスは内容と不可分なビジュアルか?
内容を吟味し、それしかない所まで追い込んだものか?
そうではない。斬新さとは一種のファッションだ。
理屈ではないのだ)


斬新なビジュアルは、
文字で現すことは、そもそも困難である。
だから斬新なビジュアルの設計は、
いつも不安定さが伴う。

しかし、斬新かどうかを確認する方法がある。
「○○が△△であることを示すビジュアル」と、
説明してみると良い。

「○○が△△である」ことが、平凡であれば、
それは斬新ではない。
よくある、または使い古されたモチーフであるからだ。
それがまず新鮮であること
(全くもって新しいのが理想だが、
ある程度新鮮であれば、許容範囲)
が、とりあえずの斬新さの条件だ。

斬新なビジュアルは、表現が斬新であることが重要だ。
しかし、ただ新しければ何をしてよいわけでもない。
斬新で、かつ、いけてることが大事なのだ。
ただ不快だとか、ただ尖っているだけで、
面白いとか、凄いとか、カッコいいとか、美しいとか、
何かしらのよい方向性を感じなければならない。

まとめるとこうだ。
斬新なビジュアルは、「○○が△△である」様子がまず新鮮で、
なおかつ不快でない方向に斬新である必要がある。

映画の武器は様々だ。
アングルや構図やライティング、
配色、衣装、美術、小道具、
音楽、SE、
動きに関すること、
役者の芝居、言葉、ストーリー、テーマだ。
斬新なビジュアルは、このどれを組み合わせて、
掛け合わせて使ってもいい。

残念ながら脚本にこれを書くことは出来ないが、
似た資料を集めてイメージを伝えることは可能だ。
(プリビジュアライゼーションなどと言う。
昨今上がりが読めなくて怖がる人が増え、
この手間が増えた。事前に読める代わりに、
資料をつくるためその資料以外のものがつくれず、
新しいものが生まれづらくなっているのが問題だ)
それにしても、
斬新なビジュアルが何を意味しているのか、
その中身が本当は問題なのだ。

父と子の和解を斬新なビジュアルで描いてもしょうがない。
父と子の和解は、どうやったって古いモチーフだからだ。
(だが普遍的なテーマだから、物凄く斬新なビジュアルなら、
あり得るかも知れない)


問題は、
地味だがしっかりした、いいドラマを書くことの方が難しいことだ。

どんな斬新なビジュアルだったとしても、
物語は人間と人間の間のドラマである。
起承転結であり、三幕構成であり、ストーリーラインとターニングポイントだ。
爆笑や感動や風刺などの、人間ドラマだ。
主人公だけでなく、様々な人が絡む、
カタルシスのある人間ドラマだ。

その古臭いまでも王道のドラマを、
斬新なビジュアルで描けたとき、
ふたつの融合となり、
それは面白い話と言われるだろう。

答えは簡単だ。
つくるのは容易ではない。
posted by おおおかとしひこ at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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