とかくACT 2は脚本家を悩ませる。
しかしぼくは気づいた。
「ACT 2に何をすべきか」という問いは間違いだ。
まず話を最後までつくってから、
「ACT 2はどこからどこまでか」を考えるべきなのだ。
まず話を最後までつくろう。
プロットの状態で、最後までつくろう。
三幕構成など気にしなくてよい。
冒頭から展開から落ちまでだ。
どうやって出来るかは、僕にもわからない。
するすると出来上がることもあるし、難産のときもある。
最初と最後の状態を考えてその間を埋めたり、
敵をつくることでその悪役ぶりを強調したり、
その鼻を明かすことを考えたり、
協力者について考えて、その設定を仕込むことを考えたりする。
過去話の挿入(あまりおすすめではないが)も現実的に展開を救うことがある。
扱う世界についての取材も参考になる。
似たような状況を、実際はどう打破しているか、処理しているかについての、
リアリティーある段取りを知ることが出来る。
思ったほどスムーズではなく、
想像以上に複雑な段取りの興味深い話も沢山知ることが出来る。
(たとえば医者が思った以上に分業制なのが、入院の経験で印象的だった。
なにごとも経験だ。取材しても分らないことも沢山あるだろうが)
とにかく、目標達成への道筋を、
理屈と感情と行動で、段取りよく、ときにはピンチになりながらも、
一進一退で最後まで決着すれば、一本のお話になるはずである。
ACT 2のことを考えるのは、実はそれからでも遅くない。
実際は書きながら自覚してはいるのだが、
どこからどこまでがACT 2に当たるかを、
プロットを書き終えてから、はじめて俯瞰するのだ。
どこからどこまでの部分がACT 1に当たるのか、
どこからどこまでの部分がACT 2に当たるのか、
どこからどこまでの部分がACT 3に当たるのか、
線を二本引くことが、三幕構成を認識することだ。
それは、あなたしか分らない。
その物語の、どれくらいが序盤で、どれくらいが終盤か、
あなたが自分で決めなければならないのだ。
中盤は、序盤と終盤を決めれば、自動的にその間だということが確定する。
積極的な中盤、ACT 2の定義はない。
ACT 2は、全体から、ACT 1と3を引いた残りとして定義される。
ここではじめて、三幕それぞれのバランスが分る。
クライマックス(ACT 3)が長すぎるのはよくあることだ。
短すぎる、あっさりしすぎるのもよくあることだ。
ACT 1のセットアップが長すぎたり短すぎたりすることもよくあることだ。
たいてい、1:2:1のバランスには収まらない。
2:1:2とか、3:1:2とか、2:1:1とかの、アンバランスになる。
アンバランスなものを、三幕構成理論によって、整えていくのである。
三幕構成理論は、既にあるものの分析でしかない。
これから書くことについてを教えてくれるものではない。
面白い話を分析したら、大体同じような時間尺の構成を持っていた、
というだけの話だ。
だからこれから書く話も、その時間配分を意識したほうがいいよ、
というだけのアドバイスに過ぎない。
(15分のスピーチで、話のマクラを5分、本論を9分、落ちを1分にしなさい、
みたいなことと全く同じだ。それは、話の内容についてのアドバイスではなく、
時間配分についてのアドバイスである)
無理矢理、今できあがったプロットを、1:2:1に割ってみるとよい。
(その付近のブロックの切れ目に試しに線を引いてみるのも面白い)
そうすると、意外と、自分の話の序盤はここだったのか、
と新たな発見をすることがある。
自分の話の真のクライマックスはここだったのか、
と新たな発見をすることもある。
残りを中盤と考えればいいだけのことだ。
中盤に設定部があったり、盛り上がりポイントがあってもなんら構わない。
中盤の定義は、所詮、まんなか、でしかない。
さて、序盤と終盤を定義できたら、
ACT 1とACT 2のラストに、それぞれ幕切れのための、
第一ターニングポイントと、第二ターニングポイントを仕込もう。
それぞれが、劇的であるようにしよう。
派手である必要はない。
静かだがドラマチックな感情を伴うシーンでも構わない。
重要なことは、我々観客の感情が、そのシーンで高ぶることである。
いよいよ本格的な冒険の旅に出るのだ、
という高ぶりが第一ターニングポイントで、
いよいよ最終決戦だ、
という高ぶりが第二ターニングポイントだ。
そのシーンが印象的な高ぶりであれば、
もう三幕構成はできたようなものだ。
そしてその区切りが、1:2:1になるように、
実際の執筆時に調整していけばよいだけのことだ。
(ぼくはその誤差は10分ぐらいまでは許容範囲だと思っている。
厳密な適用は意味がない。それよりも話が面白いことが肝心だ)
三幕構成とは、その程度のルールを守ることにすぎない。
(別に、三幕構成を守らなくても、名作は書けるかも知れない。
多くの漫画や小説は、この構造ではない。
それは2時間尺ではないからだろう。
2時間尺におさまるときの、なんとなくの気持ちよさ、
最初の状態が30分、クライマックスが30分、という尺的な感覚が、
三幕構成の根拠だと思う)
ACT 2に何をすべきか、という問いが自分の中から出たら、
それは間違った問いであることを自覚せよ。
それは、まだあなたの物語が具体的な形になっていないから、
理論に頼ることをしているだけだ。
僕もかつてそうだったから、その気持ちはよくわかる。
最終的にこうなりたいのだが、ここでどうすべきかが分らない、
という問いが、健康な問いだ。
それは、物語の性質によってすべて異なる回答だ。
それがテンプレにならず、新しいパターンになることが、
物語を創作することだからだ。
あなたは新しいパターンをつくることで悩んでいるのだ。
悩んで当たり前なのである。
ここでパターンのパクリをやると、
前には進むが、あとで後悔する事になる。
パターンの強力な力を借りる、というアマチュアなりのやり方もある。
名作を沢山見るとよいだろう。
ブレイク・シュナイダーは、「save the cat の法則」のなかで、
テンプレ的パターンの集合を10に分類し、
それが「ジャンルという型」であるとしている。
困ったら、自分の物語がどれなのかを当てはめてみて、
挙げられている代表的映画を分析してみるとよいだろう。
それがテンプレを学ぶということだ。
そのテンプレは、いくつかのビート(段取りとか瞬間とか)で構成されている。
そのビートを踏めば、話が成立するようにつくってあるのだ。
たとえば「負け犬の勝利」(例:ロッキー)では、
必ず、「みじめな主人公」「ライバルの強大さを示す」
「このままではダメだという瞬間が来る」
「がけっぷちから這い上がる決意をする」
「特訓をする」「仲間が集まってくる」「いけるかも、という確信の瞬間」
「決戦前にびびる」
「勝利する」
などのビートが存在する。
それを自分で抽出してみれば、自分なりの秘伝書の完成だ。
パターンだけで食っていける脚本家にはなれるに違いない。
(もちろん、テンプレよりも、具体的人物や焦点をつくるほうが難しい)
それが出来て始めて、新しいパターンの創作に挑むことになるのかも知れない。
2014年11月17日
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