2014年11月20日

その場所のことを全部書く

クリント・イーストウッド方式の話。


クリント・イーストウッドの脚本は独特で、
そのシーンの本編で使う予定のところ(ここを本編と以後呼ぶ)
だけでなく、その前とその後まで書いてあるらしい。

例えば会議室のシーンだとすると、
その部屋に全員が三々五々入ってきて、
何かを話したり何か決定的なことがあり、
三々五々出て行く、
その全てを書くそうだ。例えば10分としよう。
で、実際使われるところは、
決定的なことがある二分だけだったりするのだ。

これは、対役者への書き方だ。
いきなりテンションの高い重要な決定を演じるより、
その会議室に入るところから演じるほうが、
本編部分のテンションになりやすいのだ。

しかも役者はどこを使うか正確には教えられていないから、
全力で役になりきる。
(下手な役者の、どや顔演技を避けられる)
その役になっている、ほんの上澄みを狙うやり方である。

当然のことながら、一日ワンシーンとかツーシーンしか撮らない、
ハリウッドの撮影スケジュールが前提のやり方ではある。
しかもハリウッドならマルチカメラだから、
とおし一発で撮ればOKだ。
しかもイーストウッドは、ファーストテイクしか使わないという。
(風魔は一日8分ぶん撮っていた。
ワンシーン2分なら4シーンだ。しかもカットを変えるたびにセッティングを変える、
シングルカメラ方式だ)


さて、ここに重要な知見がある。

リアルな文脈のなかでの、
シナリオの場面は「一部を切り取ったもの」でしかないということ。

会議室に入って出るまで10分あったとしても、
その2分しか書かれていないということ。

つまり、シナリオにおけるシーンとは、
その場所で起こったことの一部を、書いたものである。

ドキュメントを撮ったことのある人ならわかるが、
カメラを回しっぱなしにしても、
使えるところはほんの僅かしかない。
3%とか1%ぐらいだ。

シナリオは、その3%や1%の部分のみを書くものなのだ。


美味しい所だけ演じてください、
と言ってもなかなか難しいから、
クリント・イーストウッドはそこで起こること全部を演じさせるのだ。


映画とは現実を圧縮したものである。
美味しい所だけ取り出してまとめたものだ。
シナリオは、その圧縮した所だけを書くのである。

常にそのように書いているだろうか。
逆に、クリント・イーストウッドのように、
その場所で起こること全部を、
本編の前後に足して、リアルなシナリオを書けるだろうか。

エクササイズとしてやってみるのも悪くない。
(「多分、大丈夫」は、それを意識しながら書いてみた)
posted by おおおかとしひこ at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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