仕事というものは、大抵「オリエン」があるものだ。
こういうことをしたい人がいて、お金を持っている。
その金で我々はその人の願いを叶える。
そのしたいことを、業界ではオリエンという。
オリエンテーション(最初の方向付け)の略である。
オリエンがある仕事の場合、
そのオリエンを叶えつつ、
どこまでそれ以外のことをするかが勝負だ。
オリエンはあくまでおおよその目的地をさすことで、
最終着地点を、さらに良くするべきだからだ。
その方向付けを、ディレクションという。
監督、すなわちディレクターとは、そのディレクションをする人の事だ。
例えばCMなら、
最大のオリエンは、「商品を売りたい」である。
ところが、そのオリエンが事細かくなってきたのだ。
○○というターゲットに売りたいから、それ以外が反応しても意味がない、
(本当にやるべきは全員が反応するいいものをつくること)
○○という特徴を伝えたい、
(あなたの社内では特別なことかも知れないが、
世間から見てインパクトのないニュースはニュース価値がない。
しかも、それが伝わることと売れることは別の原理が働く)
しかも問題表現に抵触しないように、一件でもクレームが来れば放送中止、
(クレームは来ると考える。表現で最もこわいのは、ガン無視だ)
などなどだ。
しかもそれが複合して要求される。
そのなかでCM業界は、なんとか面白いものをこさえようとしている。
そしてそれは年々面白いものをつくっていないようになったきた。
しかしだ。
芸術にオリエンなどないのだ。
今何が時流を掴み、何が人の心を震わせるか、
今何のテーマが刺さるのかは、
オリエンではなく、己の嗅覚で嗅ぐしかないのだ。
オリエンに従ってその枠内でつくることは、
所詮雇われの仕事であって、芸術ではないのである。
他人にオリエンされているうちは、芸術ではない。
僕は映画を芸術だと思っている。
ところが、今や映画ですらCMのようなオリエンがある。
ターゲットは○○、想定観客は○○万人、
出演者は既に決まっていて、原作も既にある。
大体こんな感じの映画に。
そんなものがヒットするわけがない。
本当のヒットは、予測の外から生まれる。
何故なら予測は過去からの推測にすぎないからだ。
人は、見えることよりも見えないことに楽しみを見いだすからだ。
人は、意外なもの、新規なものが好きで、見た事のあるものは飽きるからだ。
他人のオリエンなぞ真に受けるな。
オリエン通りにつくったからなにが文句あるのかと開き直るな。
他人のオリエンが、なぜ現代にとって正しいのか、確信しているのか?
自分自身にオリエン出来るようになって、
はじめて芸術というものを自分でつくることになるのである。
世の中には二種類の仕事がある。
他人のオリエンとお金で、他人の願望を叶える仕事。
自分自身がオリエンをし、その為のスポンサーをさがして、最終的につくる仕事。
今前者しか世の中に出ていない。だからつまらないのだ。
後者をなんとかしなければならない。
2014年11月21日
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