2014年11月21日

人間の深さ

文学の目標のひとつについて、
人間の深さを描くということがある。


人間の深さとはどういうことだろうか。

人間とはこのようなものだ、
と先入観で思っているとしたら、
それよりももっと意外な一面を持っていて、
それらが矛盾なく人間である、
ということだと思う。

つまり、深さを描くことによって、
我々の人間への理解がいかに浅かったかを、
反省したくなるような、
人間のさまを描くこと、だと言える。


よくあるのが、
極限状況に追い込まれた時の人間だ。
こんなえげつない目にあったら、
こんな究極の二択を迫られたら、
こんな孤立したら、
それでも人間は人間でいられるのか、
そんなとき人間はどうあろうとするのか、
などを描くことだ。

「生きてこそ」は、雪山に不時着した飛行機事故の話だ。
生存者が生き延びるために、他人の遺体の肉を食うべきかどうか、
という究極の選択をする話である。
実話を元にした話だから、説得力が違う。


勿論実話を元にしなくても、
極限状況は描くことは出来る。

僕の嫌いな監督に園子温がいるが、
彼は極限状況を描くことは出来ても、
そこに人間の深みを描くことが出来ない。
舞台は派手なのだが、中身が空っぽの作家である。
その極限状況での人々の選択がまるで薄っぺらい。
というか漫画的だ。
人ではなくキャラという感じがする。



人間の深みを描こう。
あなたは、人間というものはどのようなものだと思っているだろう。
世間は、人間というものはどのようなものだと思っているだろう。
そこに差がない限り、
人間の深みは描けない。
あなたの方が浅いということすらあるかもしれない。

人間の深さとはなんだろう。
一面的でなく、多面的であること。
一筋縄ではいかないこと。
複雑なこと。
複雑すぎて全貌は理解できないが、一部理解出来る部分があること。
(全部が把握できないことが深みの印象を強くする)
それらが、世間の常識よりも複雑なとき、
人間の深みを描いたと言えるかも知れない。

それをテーマにするとどう書けるだろうか。
一行から数行で書いてみるとよい。
「人間とは、○○○である」という感じで書けるだろう。
それが世間の常識よりも深く、
なおかつ真実味があるとき、
それを現す具体的物語が上手く書ければ、
人間の深みを描く物語になるかも知れない。


作家とは心理学者であり、社会学者であり、
歴史学者であり、理論家であり観察者である。
あなただけが気づいた人間の深さがあるなら、
それは作家的目線があるということだ。

「エンタメ作品」などという差別用語は、
それに対して思考停止していることを、揶揄した言葉だと思う。
つまりエンタメ作品は、
ただの時間潰しや感情の振れを経験するものに過ぎず、
人間への新しい深みを知れるものではないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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