文学の目標のひとつについて、
人間の深さを描くということがある。
人間の深さとはどういうことだろうか。
人間とはこのようなものだ、
と先入観で思っているとしたら、
それよりももっと意外な一面を持っていて、
それらが矛盾なく人間である、
ということだと思う。
つまり、深さを描くことによって、
我々の人間への理解がいかに浅かったかを、
反省したくなるような、
人間のさまを描くこと、だと言える。
よくあるのが、
極限状況に追い込まれた時の人間だ。
こんなえげつない目にあったら、
こんな究極の二択を迫られたら、
こんな孤立したら、
それでも人間は人間でいられるのか、
そんなとき人間はどうあろうとするのか、
などを描くことだ。
「生きてこそ」は、雪山に不時着した飛行機事故の話だ。
生存者が生き延びるために、他人の遺体の肉を食うべきかどうか、
という究極の選択をする話である。
実話を元にした話だから、説得力が違う。
勿論実話を元にしなくても、
極限状況は描くことは出来る。
僕の嫌いな監督に園子温がいるが、
彼は極限状況を描くことは出来ても、
そこに人間の深みを描くことが出来ない。
舞台は派手なのだが、中身が空っぽの作家である。
その極限状況での人々の選択がまるで薄っぺらい。
というか漫画的だ。
人ではなくキャラという感じがする。
人間の深みを描こう。
あなたは、人間というものはどのようなものだと思っているだろう。
世間は、人間というものはどのようなものだと思っているだろう。
そこに差がない限り、
人間の深みは描けない。
あなたの方が浅いということすらあるかもしれない。
人間の深さとはなんだろう。
一面的でなく、多面的であること。
一筋縄ではいかないこと。
複雑なこと。
複雑すぎて全貌は理解できないが、一部理解出来る部分があること。
(全部が把握できないことが深みの印象を強くする)
それらが、世間の常識よりも複雑なとき、
人間の深みを描いたと言えるかも知れない。
それをテーマにするとどう書けるだろうか。
一行から数行で書いてみるとよい。
「人間とは、○○○である」という感じで書けるだろう。
それが世間の常識よりも深く、
なおかつ真実味があるとき、
それを現す具体的物語が上手く書ければ、
人間の深みを描く物語になるかも知れない。
作家とは心理学者であり、社会学者であり、
歴史学者であり、理論家であり観察者である。
あなただけが気づいた人間の深さがあるなら、
それは作家的目線があるということだ。
「エンタメ作品」などという差別用語は、
それに対して思考停止していることを、揶揄した言葉だと思う。
つまりエンタメ作品は、
ただの時間潰しや感情の振れを経験するものに過ぎず、
人間への新しい深みを知れるものではないのだ。
2014年11月21日
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