2014年11月21日

誰のためのプロット?

書く前にプロットを書こう、と良く言われるし、
僕もプロットを事前に練るし、勧める。

しかしそのプロットは、誰のためのプロットかによって、
書かれる形式や内容が違う。
一概にプロットに決まった形式がないのはそのためだ。


プロデューサーに出すプロットと、
自分用のプロットは異なる。
プロデューサーに出した先、
製作委員会に回されるのかどうか、
プロデューサーだけの胸のうちなのかによっても異なる。

原作ものの場合、
既読の人が分かるように書くのか(再構成を中心に)、
それとも未読の人に分かるように書くのか
(最も大事なポイントはどこか)でも異なる。
驚くことに、原作を読まないのにプロジェクトに参加する人は、
とくに投資者(製作委員会)では殆どだ。
原作を全部読んでる暇がないから、ペラ一枚にまとめられたプロットを読んで、
内容把握の代わりにする人が殆どだ。

そういう人たちは、話の内容よりも、外形を見る。
例えばゲームを同時発売できそうかとか、
イベントを開催できそうかとか、
若い女向けかどうかとかだ。
他に若い女向けの大プロジェクトが動いていれば、
ビジネスが被るという理由で却下のことがある。
(実際、「上京ものがたり」の映画化を東宝系で進めていた2006年頃、
女向けの「7月24日通りのクリスマス」があるから、その年はやらない、
という理由でプロジェクト解散になったことがある)

製作委員会に入るビジネスマンは、
自分の抱えている部署に、お金をもたらすかどうかを見るのだ。
(製作委員会に芸能事務所が入れば、
うちの○○向けの話かどうか、うちの○○を売り出せそうか、
という事をまず最初に考えがち、といえば分かりやすいだろうか。
うちの○○、は、役者だけでなく、仕事関係者全て、なのである)

水もののアクションは当たらない、
というジンクスだけで海猿の制作費が出なかったのは有名だ。
水ものという外面的形式で、内容なんて見ちゃいないのだ。
(実際、海猿は内容も酷かったが)


さて、あなたの書くプロットの、
最終提出先はどこになるだろう。
ゴーサインを出すのはどんな基準だろう。
プロットで感動したからだろうか。
ビジネス上の都合を叶える、
自分では良さが分からないけど世間ではヒットしてるらしい原作つき、
かどうかだろうか。

プロットを、誰がどういう基準で読むかで、
書かれ方は変わるのだ。
そして容易に想像される通り、
企画会議で通りやすく、実現するのは後者である。
そして容易に想像される通り、
中身がないものがつくられて、
惨憺たる現状に繋がって行く。


この物語は、面白い、面白いから映画化するべき、
などということを主張するプロットは、
自分自身のために、
また内容をちゃんと読めるプロデューサーのために書こう。
(読めないプロデューサーなら、○○が出られそう、
ということだけでプロットにOKをだす。
そういうプロデューサーは、平気で女優と共演NGだから、
設定を変えようと言ってくる)


さて、ここからようやく本題。

内容を読めるプロデューサーのために書くプロットと、
自分自身のために書くプロットでも、
書き方は異なる。

前者の場合、全体の構造が見えるように、
かつ、全ての行動の理由が分かるように書く。
ここでこう言うからいいのだ、とかのディテールは不要だ。
(勿論仲のいいプロデューサーなら、同じいいものを味わいたいのが人情だから、
いいものは書いても構わない)

何故なら、
全体が無矛盾かどうかとか、ちゃんと構造が出来ているかどうかのほうが、
プロデューサーにとっては大事だからだ。

構造が出来ていないものは、
奇跡的に奇妙な作品が出来上がることはあっても、
まずまともなものは出来ない。
構造が出来ているものは、
最終原稿がひどくても、最悪そのプロットを生かして、
才能のある別のライターに才能のある台詞を書かせることも出来る。
(プロットライターと最終ライターを分ける考え方)
プロデューサーとはそのような、
話のベースが出来ているかどうかをプロットで見るのだ。

だから、起承転結をきっちりと、
かつ、最初から最後まで一本の糸で繋がる、文章形式で書く。


一方、自分のためのプロットは、
自分が乗りやすいために書く。
自分の天才的思いつきを忘れないために書く。

自分が全体構造を把握しやすく、
行動の理由など書かなくても分かるものは省略する。
それよりも、どこが肝になるのか、
どこで困りそうか(そのために細かく段取りを考える)、
などの、転ばぬ先の杖の役割をさせるために書く。
自分が大切にしたいビジュアルや音楽やディテールのことも多いだろう。
ここは乗って書ける部分だと思えば多くは書かないだろう。
その時の乗りのためにとっておくはずだ。
(逆に他人のためならそこを重点的に先に書かなければならない)

あるいは順番を気にする。
ABCの順にしたほうがいいか、BACの順がいいか、CABにしたほうがいいか、
悩むために書く。
何故なら、伏線をどこで仕込むのが一番いいかを考えるためだ。

恐らくは、全体像が自分に見えたら、
自分のためのプロットはそれで終わりだ。
あとは調べものなぞして、書き始めればいい。
プロデューサーにプロットを出して、
今後共有していくなら、そっちを書くとよい。

プロデューサーが複数いるときもある。
共同執筆のときもある。
(風魔は脚本家が複数入った。市野さんはどうしたか分からないが、
僕はプロットを書き、撮影中に脚本家にベースを書いてもらい、
それを全面的に書き直すスタイルにさせてもらった。
そもそも各回に何が起こるかという大きな構造、
背骨になるシリーズ構成は僕が書いた)


誰のためのプロットか?

それはどのように読まれ、何をどのように判断されるためのものか?
それによって、書き方や形式や、内容すらも、全然違うのだ。
本来、それぞれに応じて名称を変えればいいのだが、
脚本形式まで進んでいない、ペラ一枚のものを、
業界では何でもプロットと言ってしまう傾向にある。



参考までに、似たようなものを並べてみよう。

キャッチコピー: 一行で、内容よりも惹句になるもの。
       (例: トトロのコピー「忘れものを届けにきました。」)
ログライン: 一行で、内容をうまく表したもの。
       (例: トトロ。「姉妹がお見舞いのために旅に出て道に
           迷うが、妖怪トトロたちに助けられる」)

コンセプト: この映画のウリとか企画性。
       内容やテーマとは無関係のこともある。
       (例: ガッチャマンはCGをフルに使ったバトル映画)
テーマ: ○○は△△だ、などのように、映画全体で主張になるようなもの。
     僕の説では、最後に主人公が学んだこと。
モチーフ: ビジュアルとか音楽の、具体的な形。
       (例: ガッチャマンは鳥をモチーフとしたデザイン)

あらすじ: 数百字ぐらいで、あらすじを書く。
      しかし大抵結末まで書かない。
      DVDのパッケージや、マスコミ発表で、
      記事に載せてほしい内容を書く。

更概:   小説用語。800から1000字が多い。
      あらすじで、かつ結末まで書いたもの。
      映画業界では使われないが、これを書ける力は
      筆力におおむね比例。

プロット: ペラ一枚から二枚で、あらすじを最後まで書いたもの。
      全体の構造や、内容の形式が分かるもの。
      プロデューサーはこれから、予算規模や公開規模の
      そろばんをはじく。
      本文で書いたように、様々な位相が重なりあう。

シノプシス: 4、5枚から10枚以内ぐらいに、
      プロットを更に詳しく書いたもの。
      当然三幕構成や各ターニングポイントなどの具体的場面
      の描写や、キーになる台詞や具体的アクションまで入っ
      てくる。原作つきの場合、ここまで細かく書いて検討し
      たりする。
      共同執筆などはこれをベースにする。
      プロットとシノプシスは混同されることが多いので、
      「ペラ○枚ぐらいでよろしく」などと指定する。
      (追記: アメリカでは、我々のプロットにあたるものを
      シノプシス、その後の発展形をトリートメントというそうだ)

第一稿: 完成と作者は思うが、他の人は叩き台と思うもの。
    これを元に、各部署の調整の結果を反映させるベースと
    思っている輩がとても多い。
posted by おおおかとしひこ at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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