映画は、なるべく色々な感情に観客を引きずり回すことだ。
爆笑、号泣、感動、息を飲む、悪の理不尽に怒る、
スカッとする、モヤモヤする、謎めく、どんでん返しに驚くなどなど。
様々な色の感情を観客に起こすのだ。
コメディだから笑いしかないと思うのはドシロウトだ。
コメディには泣きも怒りもあるから、笑いがより際立つのだ。
(邦画にコメディが不作なのは、笑い以外が下手だからだ。
まず普通の映画のように笑い以外の様々な感情を描けないのだ)
しかし同時に、たったひとつの感情に集約してゆくことも、
同時にしなければならない。
あなたの映画の中で、
最も強い感情はなんだろう。
それはどこの場面だろう。
理想を先に言っておくのなら、
それはラストシーンだ。
あるいはクライマックスシーンだ。
物語が終わるときに、
最も強い感情が揺さぶられるのが、
最もいい映画だ。
そのたったひとつの感情を書くために、
色とりどりの感情を書くのだ。
そのたったひとつの感情のために、
それまでの全ての話があるのである。
そのたったひとつの感情のために、
全ての伏線と行動と結果があるのだ。
主人公の感情と観客の感情は、
感情移入が上手くいっていれば、
ここで完全にシンクロし、そして終わる。
そのたったひとつの感情に一致して。
そのたったひとつの感情とは、
どんなものだろうか。
それは途中のどの感情よりも、
強く、しかも複雑で、しかも単純だろうか。
そのたったひとつの感情のことを、
テーマと言ってもよい。
もしかしたらその感情にはまだ名前がついていないかも知れない。
(それはあなたが無知か、それとも全く新しい発明のどちらかだ)
それをズバリ一言で表せなくとも、
こうこうこういう感じ、などのように書くことは出来るはずだ。
そのたったひとつの感情に、
全てが向かっていくのだ。
勝利の快感は、その代表的な感情だ。
強大な敵の鼻を明かしたり、
強大な敵から逃げることに成功したり、
皆の前で勝利宣言をしたりなどだ。
成長のカタルシスも、その代表的な感情だ。
成長しない主人公はいない。
それがカタルシスを生むように脚本は書かれるべきである。
類型的でない、
強いたったひとつの感情へ集約させていこう。
類型的でもいい。
強いたったひとつの感情へ集約させていこう。
結局人は沢山の言葉を覚えていられないから、
最後の最後に出てきた、
たったひとつの強い感情だけを、記憶する。
勿論そこまで観客の心を引き続けていればの話だが、
それがあなたの映画の価値と評価になる。
2014年11月22日
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