2014年11月22日

たったひとつの感情

映画は、なるべく色々な感情に観客を引きずり回すことだ。
爆笑、号泣、感動、息を飲む、悪の理不尽に怒る、
スカッとする、モヤモヤする、謎めく、どんでん返しに驚くなどなど。
様々な色の感情を観客に起こすのだ。
コメディだから笑いしかないと思うのはドシロウトだ。
コメディには泣きも怒りもあるから、笑いがより際立つのだ。
(邦画にコメディが不作なのは、笑い以外が下手だからだ。
まず普通の映画のように笑い以外の様々な感情を描けないのだ)

しかし同時に、たったひとつの感情に集約してゆくことも、
同時にしなければならない。


あなたの映画の中で、
最も強い感情はなんだろう。

それはどこの場面だろう。

理想を先に言っておくのなら、
それはラストシーンだ。
あるいはクライマックスシーンだ。
物語が終わるときに、
最も強い感情が揺さぶられるのが、
最もいい映画だ。

そのたったひとつの感情を書くために、
色とりどりの感情を書くのだ。
そのたったひとつの感情のために、
それまでの全ての話があるのである。
そのたったひとつの感情のために、
全ての伏線と行動と結果があるのだ。

主人公の感情と観客の感情は、
感情移入が上手くいっていれば、
ここで完全にシンクロし、そして終わる。
そのたったひとつの感情に一致して。


そのたったひとつの感情とは、
どんなものだろうか。
それは途中のどの感情よりも、
強く、しかも複雑で、しかも単純だろうか。

そのたったひとつの感情のことを、
テーマと言ってもよい。


もしかしたらその感情にはまだ名前がついていないかも知れない。
(それはあなたが無知か、それとも全く新しい発明のどちらかだ)
それをズバリ一言で表せなくとも、
こうこうこういう感じ、などのように書くことは出来るはずだ。
そのたったひとつの感情に、
全てが向かっていくのだ。



勝利の快感は、その代表的な感情だ。
強大な敵の鼻を明かしたり、
強大な敵から逃げることに成功したり、
皆の前で勝利宣言をしたりなどだ。

成長のカタルシスも、その代表的な感情だ。
成長しない主人公はいない。
それがカタルシスを生むように脚本は書かれるべきである。

類型的でない、
強いたったひとつの感情へ集約させていこう。
類型的でもいい。
強いたったひとつの感情へ集約させていこう。

結局人は沢山の言葉を覚えていられないから、
最後の最後に出てきた、
たったひとつの強い感情だけを、記憶する。


勿論そこまで観客の心を引き続けていればの話だが、
それがあなたの映画の価値と評価になる。
posted by おおおかとしひこ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック