2014年11月23日

僕らは何をつくるのか

脚本家は何をつくるのか。
何をつくれば、映画の脚本を書いたことになるか。

世界設定、人物設定、
具体的台詞と感情、
そしてストーリーだ。

つくる人によってそれは違うだろうけど、
僕は1:1:3:5
ぐらいの配分だと思っている。


世界設定

現実の世界を舞台にしようが、架空の世界を舞台にしようが、
現実ベースに奇妙な設定を入れ込もうが、
どんな背景世界設定でも、
全ての労力に比べれば1/10程度だ。
とても新しい斬新な設定でも、やはりこうだと思う。

「未来から派遣されたロボットが、現在の主人公を変えるためにやってくる」
という基本設定は、ドラえもんの斬新な設定だが、
これはターミネーターの設定でもある。
つまり、両者はベース設定が同じの、全く別の物語だ。
勿論、未来世界での様子やロボット回りの設定やタイムマシンの設定などは、
まるで違うから、全く同じ世界設定ではないことはご存知だろう。
我々は同じ設定からでも、全く違う物語を書くことが出来る。

「金持ちの男が下層世界の女を拾い、自分好みに育てる」
設定の話は西洋に昔からある。勿論日本にもある。
マイフェアレディとプリティウーマンは、
ドラえもんとターミネーターが同じ物語だ、
という以上に同じ物語だ。
それは基本設定が同様なだけでなく、ストーリーが大きく同じだからだ。


人物設定

具体的登場人物に関する設定は、
動機や目的、それに付随する立場から、
現在の気持ちから、過去にあったこと、という重要な部分と、
外見や趣味や口癖や性格などの、いわゆるスペック設定がある。

人物の所属する組織の設定などは世界設定か人物設定か。
どっちでもよい。人物が手を下せる範囲を人物に含めるぐらいでいい。


物語の初心者は、
背景設定と人物設定をすれば物語が出来ると思っている。
それは間違いだ。全体の2割も出来ていない。

あなたが書くのは、残り8割の具体である。

こういう勘違いが起こるのは、○○図鑑やWikiなどのせいだ。
これらは羅列式の文章であるため、書くことや編集が簡単で、
かつ我々の収集心を強く刺激する。
箱庭的に俯瞰することで、世界に浸れる満足感もある。
実写「風魔の小次郎」の感想を見ていると、各キャラについて、
一人一人感想を述べるスタイルが結構多いことに気づく。
それは、○○図鑑的な世界の把握の仕方だ。
いわば大航海時代の博物学である。ただの拾い集めだ。
世界の把握にはなるが、脚本を書くことのまだ2割に過ぎない。

また、これらは同時進行する。
世界設定を全部作ってからプロットを書き出す訳ではない。
執筆の最中に進行上の都合で設定を追加する必要もある。
(不自然なものはご都合主義という)



具体的台詞と感情

脚本の8割以上は台詞だ。(ホンによるだろうけど)
あるいはト書き(アクション)だ。
これらは、全て登場人物の感情を示すためにある。
(感情の入ってないものをただの説明台詞といい、
脚本にとっては禁忌である。何故なら詰まらないから)

あなたは48000字の感情を書く。
この具体を完成させるには、設定の3倍くらいの労力がかかる。
この数字は経験的なものだ。


しかし、勿論台詞は重要だし、
感情も重要だが、
それらは全てストーリーを表現している。



ストーリー

僕はこれが全ての労力の半分ぐらいを占めると思う。

ストーリーってなんだ。
事件とその解決だ。
その途中で起こるもめ事(バトルと意訳した)だ。
起点から起こり、終点まで動き続ける焦点だ。
それは数回の大ターニングポイントや、
数十から百単位の小ターニングポイントを含む。
あるひとつの事件と解決の組のストーリーラインではなく、
別の事件と解決の組のストーリーラインが絡んでくることもある。
(サブプロット。平均二本)

これらは全て順接であり、原因と結果の関係で繋がれる。

あることになった。
→○○のため、あることをした。
→△△になった。
→したがって××のためにあることをする。
→…

ある事のためにある事をしなければならない、
ある事を防ぐためにある事をしなければならない、
などは、これらのバリエーションだ。


ストーリーはその一意の形を持たない。
「ある事のためにある事をする」なんて具体的なことは、
脚本には書かれない。
状況と行動や感情から、我々観客が「読み取る」のだ。
脚本には具体的な台詞とト書きが書いてあるが、
そこにはストーリーそのものは書かれていない。

あくまでその具体から読み取って、頭のなかに構築されて、
それが展開によって更新し続けられるものである。
(この更新の感じが、予想や期待やどんでん返しや期待はずれを生む)

我々はストーリーを、プロットの形で目に見えるようにする。

確かにあるものだが具体的には存在しないものを、
目に見えるように書き下すのだ。
それはそのストーリーが面白いかどうかや、
矛盾がないかのチェックに使われる。
(プロデューサーは更に、予算の算盤をはじいたり、ビジネスの交渉用具に使う)

さらに、ストーリーはテーマをあらわす。
脚本の中に目に見えないストーリーが埋め込まれているように、
ストーリーの中に、目に見えないテーマが埋め込まれている。

テーマも、ストーリーそのものも、
具体的脚本の中にも、図鑑的な設定集にも、
どこにも書いていない。
具体的な脚本から、読み取るものだ。

我々はこれをつくらなければならない。


僕はこれらの4つの労力配分は、
1:1:3:5ぐらいだと思っている。
ストーリーを考えることが一番頭を使う。
しかもそれは具体的な形を持たないところが、
脚本の厄介なところかも知れない。

(経験的に、小説は1:1:4:4ぐらいか。地の文の労力がはねあがる)


脚本が書けないなんて初心者は、
設定とか具体的台詞を少し書いただけで止まっているだけの、
日記で言えば三日坊主で終わった人に過ぎない。
posted by おおおかとしひこ at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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