有名な話だが、
黒澤明と脚本家橋本忍と、プロデューサーの三人が、
旅館に一ヶ月籠って、数々の名作脚本を仕上げたこと。
つまり、それほど密度の濃いことを、
あなたはしてるかということ。
実際にその場にいたわけではないが、
容易に想像できる。
それは、プロットを練ることに殆どの時間を割く筈だ。
伝え聞く話では、
常に「次のシーンをどうするか」延々とアイデアを出しあったという。
どこにするのか、
誰が何をするのか、
なに目的で、なんの為に、なに狙いで。
それをどうやって分からせるか、
他に誰がいるのか、
そこで何が起こるのか、起こるとしてどのように劇的に。
誰が妨害するのか、なに目的で、なに狙いで。
その攻防はどういう段取りになるのが面白いのか。
なぜそうなるのか。
ある面白いことを思いついたら、自然にそこへたどり着くための前振り。
全体のストーリーはそれでどうなるのか。
一方あっちは今どうなっているのか。
そんなことを話した筈だ。
その為に、毎度毎度各人物の目的や動機を確認しただろう。
あの時こう言っていたなどの過去のシーンを確認するだろう。
あるいは未来にこういうシーンが期待されているから、
それを睨んだ上での、現在のシーンでは何をするべきかをとらえただろう。
どこかで矛盾も出た筈だ。
どこかで面白いと思って書きすすめたが上手くいかず、
ご破算にしてやり直すこともあった筈だ。
黒澤は全体の流れを把握していて、
橋本他脚本家に、次のシーンをどうするか、何人かに軽くプロットを書かせて、
よいものを選び、更に揉んでいったという。
その時には上のような議論をした筈だ。
そういうときにこの男はこういうことは考えない、とか、
いや、このように修正してよい、などの、
登場人物像に関する話も延々としただろう。
同等の実力がある人同士なら、
これほど噛み合い白熱する議論はないだろう。
今日の議論のぶんをプロットとしてまとめ、
試しに誰かが書くということをやっただろう。
その具体に対して、こう言う台詞はどうか、などの黒澤の指示などもあったかも知れないし、
その場の思いつきを否定する、これまでの流れと首尾一貫性を欠くとして、
反対する意見もあったかも知れない。
合宿の初日はどんなだったろう。
恐らくそれぞれに新作のアイデアを持ってきた筈だ。
あるいは、新作のアイデアを誰かが出し、
ある程度下調べをしてきたかも知れない。
大まかなプロットや、主人公像、
対立する人物や周囲の軽い設定などもあったかも知れない。
全く白紙のまま合宿をはじめることはなかっただろう。
テーマだけ決まっているぐらいはあった筈だ。
何を考えて一ヶ月に挑むのか、ある程度の準備はしただろう。
今の企画打ち合わせで、これほど脳みそを絞る人はいるだろうか。
今の企画打ち合わせでは、すぐみんなググる。
ググる時間、分かったというまでの時間、思考は停止している。
知らないことを想像し、自分だったらどうするかを考えていない。
知らないことは、想像で補うということをしない。
彼らは他と連絡を経った状態で、一ヶ月誰も助けてくれない、
ガチの打ち合わせを延々とやった。
それは疲弊しまくる、自分の全てを出し尽くす経験でもあった筈だ。
一升瓶が何本も空いたという話はよく聞く。
座って酒を飲みながら、トップクリエイターの彼らは一ヶ月間、
脚本の話だけをし続けた。
誰の力も借りず、自分の想像力だけで。
そんなやり方で作っていた当時の脚本に、
あなたが勝てるか?
想像力をフルに使うことにかけては、これを凌駕するほどのことを考えているか?
勝つためには何をすればよいか?
僕は、実力が同じぐらいなら、
このような合宿形式をしてみたいと思っている。
ピクサーは、もっともっと多くの人がストーリーを考えている。
ストーリーデベロッパの数の多いこと!
あなた一人の才能は、これらの複合戦力に勝てるのか?
それ以上に考えないと、勝てないだろう。
2014年11月26日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック