2014年11月26日

プロット合宿

有名な話だが、
黒澤明と脚本家橋本忍と、プロデューサーの三人が、
旅館に一ヶ月籠って、数々の名作脚本を仕上げたこと。
つまり、それほど密度の濃いことを、
あなたはしてるかということ。


実際にその場にいたわけではないが、
容易に想像できる。

それは、プロットを練ることに殆どの時間を割く筈だ。

伝え聞く話では、
常に「次のシーンをどうするか」延々とアイデアを出しあったという。

どこにするのか、
誰が何をするのか、
なに目的で、なんの為に、なに狙いで。
それをどうやって分からせるか、
他に誰がいるのか、
そこで何が起こるのか、起こるとしてどのように劇的に。
誰が妨害するのか、なに目的で、なに狙いで。
その攻防はどういう段取りになるのが面白いのか。
なぜそうなるのか。
ある面白いことを思いついたら、自然にそこへたどり着くための前振り。
全体のストーリーはそれでどうなるのか。
一方あっちは今どうなっているのか。

そんなことを話した筈だ。

その為に、毎度毎度各人物の目的や動機を確認しただろう。
あの時こう言っていたなどの過去のシーンを確認するだろう。
あるいは未来にこういうシーンが期待されているから、
それを睨んだ上での、現在のシーンでは何をするべきかをとらえただろう。

どこかで矛盾も出た筈だ。
どこかで面白いと思って書きすすめたが上手くいかず、
ご破算にしてやり直すこともあった筈だ。

黒澤は全体の流れを把握していて、
橋本他脚本家に、次のシーンをどうするか、何人かに軽くプロットを書かせて、
よいものを選び、更に揉んでいったという。
その時には上のような議論をした筈だ。

そういうときにこの男はこういうことは考えない、とか、
いや、このように修正してよい、などの、
登場人物像に関する話も延々としただろう。


同等の実力がある人同士なら、
これほど噛み合い白熱する議論はないだろう。

今日の議論のぶんをプロットとしてまとめ、
試しに誰かが書くということをやっただろう。
その具体に対して、こう言う台詞はどうか、などの黒澤の指示などもあったかも知れないし、
その場の思いつきを否定する、これまでの流れと首尾一貫性を欠くとして、
反対する意見もあったかも知れない。


合宿の初日はどんなだったろう。
恐らくそれぞれに新作のアイデアを持ってきた筈だ。
あるいは、新作のアイデアを誰かが出し、
ある程度下調べをしてきたかも知れない。
大まかなプロットや、主人公像、
対立する人物や周囲の軽い設定などもあったかも知れない。
全く白紙のまま合宿をはじめることはなかっただろう。
テーマだけ決まっているぐらいはあった筈だ。
何を考えて一ヶ月に挑むのか、ある程度の準備はしただろう。


今の企画打ち合わせで、これほど脳みそを絞る人はいるだろうか。
今の企画打ち合わせでは、すぐみんなググる。
ググる時間、分かったというまでの時間、思考は停止している。
知らないことを想像し、自分だったらどうするかを考えていない。
知らないことは、想像で補うということをしない。

彼らは他と連絡を経った状態で、一ヶ月誰も助けてくれない、
ガチの打ち合わせを延々とやった。
それは疲弊しまくる、自分の全てを出し尽くす経験でもあった筈だ。
一升瓶が何本も空いたという話はよく聞く。
座って酒を飲みながら、トップクリエイターの彼らは一ヶ月間、
脚本の話だけをし続けた。
誰の力も借りず、自分の想像力だけで。

そんなやり方で作っていた当時の脚本に、
あなたが勝てるか?
想像力をフルに使うことにかけては、これを凌駕するほどのことを考えているか?

勝つためには何をすればよいか?


僕は、実力が同じぐらいなら、
このような合宿形式をしてみたいと思っている。

ピクサーは、もっともっと多くの人がストーリーを考えている。
ストーリーデベロッパの数の多いこと!


あなた一人の才能は、これらの複合戦力に勝てるのか?
それ以上に考えないと、勝てないだろう。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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