どんなに偉大なテーマを創作しても、人には伝わらない。
どんなに凄いラストでも、人には伝わらない。
どんなに凄い展開でも、どんなに変わった導入でも、
人には伝わらない。
伝わらない、というのは、「最初に」という意味でだ。
まず人に最初に伝わるのは何か。
コンセプトだ。
コンセプトというのは、
ログラインのようなストーリー構造を示すものでもなく、
単純に、人にこれはどんな映画かを伝える、
最も原始的な原型だ。
ほとんどは見た目一発のことである。
ロッキーのコンセプトは、
「ダメボクサーが世界戦のチャンスを得る」だ。
そのテーマ、
「自分が惨めな男が、遅まきながらも自分を証明する」
では人目を引かない。
それよりも、ボクサーの話であるとか、
世界戦のチャンスがやってきたとか、特訓とか試合とかだ。
そのログライン、
「崖っぷちのチンピラボクサーが、世界戦のチャンスを得て、自分を証明する」
でもない。
(ログラインはテーマもコンセプトも上手く入れ込むのが望ましい)
そんな難しそうなことより、
ボクシング映画とか、激しい殴りあいとか、
すげえ特訓とか、一人で頑張るとか、孤独感とか、
なんだかラブストーリーもあるぞ
(メガネを外すと美人?)とか、
そういうものが人目を引くのだ。
「ジュラシック・パーク」のコンセプトは、
「恐竜たちの島と、そこからの脱出」で、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のコンセプトは、
「過去へタイムスリップしたら、若い頃の母に惚れられた」で、
「風魔の小次郎」のコンセプトは、
「学園を舞台にした忍者バトル」で、
「てんぐ探偵」のコンセプトは、
「新種の妖怪、心の闇を人知れず退治する」だ。
一行よりも短く、数ワードで示すとよい。
作品の本質やテーマやストーリーではなく、
人が楽しそうだなと最初に目を引くところ、でよい。
容易に想像できるように、
これは宣伝の中心的な柱になる。
予告編でも、宣伝ビジュアルでも、まずこれをうたう。
ポスターでもDVDのパッケージでも、番組紹介でもだ。
目新しい特撮や、予算のかかった場面(クライマックスが多い)、
作品の代表的場面(イコン)など、
なるべく強いワンビジュアルになるのがよい。
(「いけちゃんとぼく」に触れておく。
僕は「ノスタルジックな、少年とお化けの交流」であるべきとし、
宣伝部は「大人が見る泣ける映画No.1」だとした。
製作途中に、お化けを売りに出来るほどの十分な予算は与えられなかった。
せめて僕は「自分にしか見えないお化けとの別れ」と譲歩したが、
それも無視された。宣伝部のコンセプトには、内容と関係のない外形だけがある。
なにもこの話でなくとも泣けるNo.1はありうるからだ)
コンセプトは、客層まで見越した方がいいだろうか。
過剰なマーケティング的考え方だと、
ボクシング映画だから、ロッキーは男しか見ないだろうか。
否だ。女も見るし子供も見る。
それは内容が人間のプライドに関わる話だからだ。
内容が政治なら(例えば次の選挙はボクシングで決めるなど)、
たとえボクシング映画だとしても、
万人向けではないはずだ。
このように、宣伝部は内容とコンセプトを分けて考えるべきだ。
コンセプトはあくまでインパクトやヒキで、
1秒で面白そうだなと思わせることであり、
内容は、見て満足できる部分、
すなわちテーマやストーリーや感情移入のことだ。
バカな宣伝部は、それを混同するからダメなのだ。
たとえば「地獄先生ぬ〜べ〜」は、
「鬼の手をもつ先生が妖怪退治」がコンセプトであり、
内容は「生徒たちの教育や、恨みを晴らすことや、都市伝説の謎を解明する」だ。
バカなスタッフは、コンセプトの実現はしたが、
その内容の実現はしていない。
だからあれはぬ〜べ〜の実写化でもなんでもない。
ただのビジュアル化にすぎない。
だから内容のないコスプレ学芸会だと言われるのだ。
うんこ映画実写ガッチャマンは、
「5人の科学忍者が地球を救う」がコンセプトだ。
ここまでは間違っていない。
しかし内容がなかった。
元々原作版には、映画にしうる内容がうすい。
あるとすれば科学悪用への警鐘だった。
その内容を発展した、映画的内容にするべきだった筈だ。
実写「風魔の小次郎」は、
「学園を舞台にした忍者バトル」がコンセプトだ。
原作の内容はほとんどない。バトル漫画だからだ。
だから僕は内容を創作した。
そのことについては監督メモに詳しい(風魔カテゴリの一番下ヘどうぞ)。
内容を主人公の成長を軸に、新しい忍びになることを結論になるように、
絆の物語と群像劇を編んだ。
物語には、コンセプトと内容がある。
浅い話はコンセプトは面白くても内容がない。
(浦島太郎は、コンセプトの異常な面白さで伝承されてきたが、
内容、つまりテーマはないと思う。
桃太郎はコンセプトも面白いし、
テーマも異民族との戦闘の勝利という明確なものがある)
人は、内容を知らずにコンセプトだけをまず目撃する。
そうやって寄ってきた上で、
内容を(面白ければ)最後まで見る。
その時にようやく満足するのだ。
きっとその満足の内容は具体的に残らず、
満足感と第一印象のコンセプトが結びつけられて記憶される。
ロッキーという男の復活の物語に感動しながら、
ボクシングに燃えた、などのようにだ。
コンセプトをしっかりと詰めよう。
それは果たして人目を引く面白いものか。
それ自体のキャラが立っていて、
内容と関係なかったとしても一人歩きするものか。
コンセプトは所詮ガワだから、
いくらでも取り替えがきく。
その面白いコンセプトだけが、人の噂として流通することができる。
昨今のドラマや映画が詰まらないのは、
コンセプトを詰めても内容を詰めていないものが多いからだ。
だからといって、コンセプトが面白くないものは、
そもそも人目を引かない。
まず噂になるための、コンセプトを考えてみよう。
あるいは、ベースになる面白い物語を、
あるコンセプトで売ることを考えてみよう。
2014年11月27日
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