2014年11月29日

映画と連載漫画の違い

カイケツ風呂頭巾の天才的馬鹿馬鹿しさから一夜明けて、
映画と連載漫画の違いについて思い当たった。

連載漫画の初頭は、コンセプトからはじまるということ。
そして、恐らく次に感情移入を後付けし、
恐らく次にテーマを後付けする、
などのように、出てくる順番が映画と異なるのだ。


映画の場合、最初は感情移入からだ。
感情移入の初期、状況や人物への興味だ。
そしてこれはテーマを逆側から暗示する。
主人公の陥っていることの、逆を達成することが、
テーマになるからである。

コンセプトになるシーンは、第一ターニングポイントあけの、
二幕前半に集中する。
つまり、コンセプトのシーンは漫画に比べ随分遅い。

ヒーローものならヒーロー初活躍シーンだが、
ここで遅いと思う場合、
冒頭にヒーロー活躍シーンを描いてツカミとし、
その○ヶ月前、として一幕全体でそれまでの経緯を描き、
二幕前半でそのシーンに戻ってくる、
という構成を取ることがある。
「アイアンマン」がこの構成だ。
マーベル漫画原作だから、漫画の特徴コンセプトシーンから始めることと、
映画の二幕前半にコンセプトシーンが来ることの、
両方を叶えた、優れた構成だ。

連載漫画:
コンセプト
感情移入
テーマ

映画:
テーマの逆
感情移入
コンセプト
テーマ

のような構成の違いがあると思う。
連載漫画は第一話でツカミとしなければならない、
という要請から、自然とこのパターンになったのだろう。

映画はそもそも冒頭30分セットアップしていたが、
テレビ放送するようになって、
冒頭にインパクトあるシーンがないと視聴者が離れていくため、
頭にツカミを入れるような構成が常識になってきた。
(ジョエル・シルバーは15分に一回爆発を起こせという)
しかしこれは、映画のテレビ対策でしかなく、
冒頭にツカミを入れなければならないわけでは、原理的にはない。
従って、
ゆっくりはじめるか、激しくはじめるかの違いでしかない。
(アイアンマンは二つのいいとこ取りをする構成にしたのだ)

そしてツカミとは、激しいアクションでなければならない訳でもない。
緊張を伴うシーンであれば、何でも良いと思う。
(度々例に出すが「バッファロー66」は、
小便をしたいのだがトイレがない、という珍しい緊張感からはじまる)


アイアンマンの優れた構成に比べ、
うんこ映画実写ガッチャマンの構成を見てみよう。
コンセプトシーンは、新宿での対ギャラクターとの戦闘シーンだ。
ここからはじめればよいのに、
この映画ではその前に幼少期の回想、石のセットアップ、
ギャラクターと世界のセットアップ、ジュンと甚平の買い物シーンと、
無駄なシーンがいくつもあり、
ようやくコンセプトシーンとなる。
映画的構成ならここまでに、感情移入とテーマの逆が示される筈だが、
それが出来ていないため、退屈となり、ツカミから失敗だ。
そしてキャタローラーを止めたあとは、
死ぬほど退屈がやって来る。
二幕前半にコンセプトシーンはあったか?ない。
従って冒頭のアクションだけが語られておしまいの、
スーパーうんこになっただけだ。

せめて、
冒頭から新宿アクション
(本部に迫るキャタローラー、しかし日本にはガッチャマンがいる!)とし、
→出撃を終えた5人の日常
→回想で石と適合者としての過去
→次なる敵の出現が第一ターニングポイント
(本編に合わせるなら仮面舞踏会への潜入任務)

と第一幕を描けば、アイアンマン的構成となったはずだ。
(テーマが何か分からないのだが、
適合者の悲劇とでもしておくか。テーマの逆として、
満足な子供時代を遅れなかった過去を描き、
それでも5人がいれば幸せという結論にでも書き換えるか)



漫画の映画化が困難なのは、
このような構成の違いでも理解することが出来る。
勿論、アイアンマンのように、
両方をよく理解した脚本家がいれば別の話だ。

じゃあドラマ化なら?と連載形式構成に思いが至るだろう。
実写風魔の小次郎は成功した。
様々な要因があるだろうから、分析はお任せする。
僕は「きちんとストーリーをつくったこと」が中心だと思っている。

風魔が成功して他が成功しないのは何故か?
俺に頼まないからだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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