2014年11月30日

シークエンス

一連のもの、という定義で使われ、
明確な定義がない。

アクションシークエンス(例えばチェイスがはじまって終わるまで)、
火事のシークエンス(火事がはじまって終わるまで)
オープニングシークエンス(007のアニメーションなんかは分かりやすい。
特にクレジットの入るものはクレジットシークエンスなどという呼び方もする)、
などのような使われ方をすることが多い。


映画はシーン(場所)が単位だから、
たいていは、複数の場所をまたぐことをシークエンスという。

モンタージュシークエンスという言い方もある。
たいてい音楽をかけて台詞なしでつなぐ一連だ。

恋愛のモンタージュなんてのは最もよくある。
デートを重ね、徐々に進展し、ついに結ばれ…なんてのを、
うっとりする音楽に重ねて編集するのはパターンだ。
インド映画ではこれがダンスシークエンスになる。

戦闘準備や出撃のモンタージュもよくある。
修行のモンタージュもよくある。
「いけちゃんとぼく」では隣町へ冒険しにいく、自転車旅行のモンタージュや、
清じいの牛乳屋の手伝いをしながら握力を鍛えていくモンタージュがあった。

この場合、編集という意味の広いモンタージュではなく、
モンタージュシークエンスという狭い意味でのモンタージュだ。

モンタージュシークエンスの目的は、時間経過だ。
感情にのせた音楽で、ただ省略するよりも、
情緒的な省略である。

逆に、恋愛のディテールや、準備のディテールや、
修行のディテールから逃げているということになる。
最初は芝居で描き、ちょっと流れが出来たら音楽がかかり、
うっとりするモンタージュシークエンスへなだれ込むのが常套だろう。

また、モンタージュシークエンスは後半部にあることが多い。
中盤にはいろいろある、と僕が省略して書くことには、
それも含まれている。



シークエンスとは、モンタージュシークエンスも含んだ、
一連のシーンのことである。
その一連で、ひとつの小映画になる。
つまり、センタークエスチョンを持ち、
三幕構成を持ち、ターニングポイントを持つことが多い。
サブプロットもあるかもしれない。

これが数が多いと、映画全体がブツ切れの印象が濃くなる。
ブロックブロックに分かれすぎて、
「ひとつづきのもの」という感覚が遮断されるからだ。
とはいえ、こういうブロックがないと、
一連の緊張のまとまりのようなものがなく、
ダラダラとしたものになるだろう。
つまりは、緩急ということだ。

また、クライマックスは大抵シークエンスになる。
ひとつの場所だとしても、
長いシーンになり、ワンシーンよりもシークエンス的になるはずだ。
撮影も一日ではなく、複数の日にちをかけて綿密に行われる。

映画史上に残る「ベンハー」の戦車シーンは、
ひとつの闘技場でのもののため、厳密にはシーンかも知れないが、
長さや規模ではシークエンスである。
撮影に二週間かかる、オープンセットでの大迫力シークエンスだ。
このシーンの編集だけで三週間かかった、というのは有名な話だ。
(少し愚痴るが、「いけちゃんとぼく」の編集は全部で三週間以内にやってくれと言われた。
ちなみにハリウッドでは、プロデューサーに見せないまま、
六週間自由に編集できる時間があるという。
ハリウッド映画の予算は、このように編集にもたっぷりかけるのだ)


シークエンスには、序盤も中盤も終盤もある。
オープニング的なものやエンディング的なものを備えてもいる。
そこで何をするかというと、
センタークエスチョンについて解決するのである。
ベンハーは誰がレースに勝つのか、だ。

このセンタークエスチョンは、映画全体から見たとき、
ひとつの焦点である。
ベンハーでは、主役二人の確執という文脈での、
主人公ベンハーの「奴隷から脱出し、牢獄の母と妹を助ける」という
センタークエスチョンのサブ目的、
レースに勝つ、という焦点のもとに行われている。

一連のシークエンスでは、
そのセンタークエスチョンが、全体のセンタークエスチョンと、
どういう関係にあるか、しっかりと考えておこう。
大抵、一連のビッグシーンになるため、
忘れがちになるのだ。
このシークエンスの目的を果たしたとき、
全体の旅に対して、どの程度貢献するのかを、
主人公や登場人物も、作者も、観客も分かっていることが肝心だ。


特に、シークエンスを意識して書くことはないかも知れない。
が、盛り上がってるところを改めて見ると、
大抵シークエンスになっているか、
長いワンシーンになっていて、三幕構成を持っていることが多い。

映画の盛り上がりは、単発ではない。
ワンシーン1分盛り上がって、
それが終わってまた次の盛り上がりを待つわけではない。
ひとつの盛り上がりが次の盛り上がりの燃料になっていて、
次々に盛り上がっていくものである。

それが数分から7分半続く(7分半の悪魔)。
最大15分(何故なら人間の集中力は15分だから)だろうけど、
15分盛り上がりっぱなし、というのは、クライマックス以外なかなかないと思う。
(逆にクライマックスは最大に盛り上がるから、盛り上がりの尺も長いだろう)

盛り上がりは、自然にシークエンス形式になるだけである。


自分の作品での、盛り上がり部分をあらためてチェックしてみよう。
シークエンス形式になっているだろうか。
三幕構成になっているだろうか。
ひとつのセンタークエスチョンに絞っているだろうか。
(サブがあってもいいが、ひとつのメインがあるといい)
三幕構成は、1:2:1でもいいし、
僕の短編の法則、1:1:1や2:2:1を目指してもいい。
第一ターニングポイントや第二ターニングポイントを劇的にするべきだろう。


このように、お話の中には入れ子のような構造がある。
(最も入れ子的なのは、劇中劇や、回想だろう)
シークエンスを使いこなせれば、
盛り上がりのコントロールも出来るようになるはずだ。
緩急のコントロールも出来るようになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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