日記でつぶやく。
前の劇的の議論を考えていて思った。
僕らの日常は平穏無事が一番いい。
年成長率3%や5%なんて目指してもいない。
プラマイ0で、ちょっと貯金が出来ればいいや。
しかるに、株式会社は年成長をしなければいけないらしい。
それじゃいずれ膨れ上がって有限の地球を埋めてしまうではないか。
その目的は何だろうと思ったら、
株主の投資に返金するためだと思い当たった。
何のために会社があるのか?借金を返し続けるためにあり、
年成長率5%を保たなければいけないのだそうだ。
株式会社の社長は、馬鹿なんじゃないかと思う。
上手くいくわけないじゃん。
人間の理想が、平穏無事なのに。
(僕は理系なので経済のことがきちんと分かりません。
上手く反論してくれる方、お待ちしております)
2014年11月30日
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私は専門家ではありませんが、政治や経済に興味を持ち、普段は意識されにくく、(特に日本人にとっては)関係ない、お上にお任せ! と思えるそれらが、実は普通の人の生活や人生にとても大きな影響を及ぼす、というような物語小説の執筆に挑戦しています。
大塚さんの「人間の理想が、平穏無事なのに、株式会社が成長し、借金を返し続けるのはナンセンス」という主張に対する自分なりの考えを、述べさせていただきたいと思います。
結論としては、端的に言えば、株式会社はそうしなければ、そもそも平穏無事の維持、すら危うく、生きていけないから、となります。
会社は、法律上の人格を認められた、法人というバーチャルな人間です。理念や目的を持って生まれ、周囲の会社との協力、競争などの関係を通して、成功や失敗を重ねながら成長し、時には傷つき、やがて死んでいきます。なかには、こいつ、不死の怪物か? というような長寿の会社もありますが、多くの会社は淘汰されたり、社会的な役割を果たすことで天寿を全うしたりします。なんでも擬人化(妖怪・神・精霊など)したがる日本人には、案外、このように会社を擬人化して楽しんでいる人も多いのかもしれません。
平凡な会社の寿命は、およそ30年、という話もあります。(私が以前勤めていた零細ゲーム会社も同じくらいでした)
平穏無事、は確かに理想ですが、その維持のためには、資本主義経済が内包する競争原理に基づいて、自ら設定した成長目標に向かって走り続け、その過程や結果についての、相対的で客観的な信頼を維持し続けることが必要です。
そうして得られる信頼こそが、不特定多数の株主からの株式投資を受け続ける、価値の根拠となる指標のひとつであるといえます。信頼性が高い会社は、投資家である株主から、短期的または、長期的に、こやつは、他のやつよりも利益を生む金のガチョウだ! と見られていることになります。
社長が借金を返すために必死なのも、銀行からの融資を受け続けるための信頼性の維持が目的です。同じく銀行も、信頼性のある会社は、格付けに応じた借金の返済能力があるだろう、と考えています。
成長目標の達成率、借金返済能力のどちらも、それぞれ対象は異なりますが、相対的で客観的な信頼、という評価を得続けるための指標、という意味では同じものです。そして、資本主義の競争原理で生き残り続けるためには必要不可欠なものです。
プラマイゼロでちょっと貯金、が、狙って達成でき、信頼も維持できればすばらしいですが、他者との競争においてプラマイゼロを狙って達成するのは困難で、自社の価値、信頼性の判断の主体は他者で、しかも相対的な客観評価になります。
「こいつ、あんまやる気なさそやな、あっちの鼻息あらい奴にしとこ」と愛想をつかされることも、あるかも知れません。
そこには、不特定多数の第三者が「よし、お前に決めた!」と言ってくれるには、どうすべきか、という命題があります。もちろん「ずーっと息長く、ぼちぼち稼ぐ奴がええねん、優待も俺好みや」という投資家もいるでしょう。長く付き合っているうちに「いろいろピンチもあったけど、こいつ、ホンマ、へこたれへんやっちゃ、かわいいのう!」と愛情すら感じてもらえることもあるかもしれません。
※その2に続きます。
以下、詳述しますが、過剰でうるさかったらすみません。
経済成長とは相対的なもので、資本主義経済は基本的に競争原理を内部に孕みます。それは、より、資本を蓄積したものが、さらにその資本を使って、経済活動という競争に有利になる、今より良くなりたい! という人間の本能的な欲望を肯定した仕組みです。
この資本主義経済の原理に従って、自由主義を一部導入した中国を含め、今現在、世界の多くの国の企業が、グローバル経済というサーキットの上で生存競争(競走)を続けています。また、どれだけの速度で走ったらよいか、という目標は、自己責任です。(共産主義なら、共産党が決めてくれます)
この状態でみなが一斉に、ちょっとしんどいから競争止め! をした場合も、誰か一人でも走り出したら、止まっている人は置いてけぼりになります。具体的には、顧客や投資家や銀行に相手にされなくなり、最終的には株式会社としての企業活動が維持できなくなります。
大塚さんのおっしゃる、平穏無事の状態、というのは、この、資本主義経済の生存競争の中で、置いてけぼりにならずに済んでいる=生き残っている状態、ということだと解釈しました。そのためには、目には見えない、ある水準をクリアし続ける必要があります。
その水準とは、その企業に対する投資家や銀行からの相対的で客観的な信頼性です。この信頼性を計るひとつの重要な指標が、株式会社が設定する、これくらい結果だします! という指標、すなわち成長目標と、その達成の度合いです。成長目標の設定と達成度合いが、その企業にとって妥当だったかどうかは、業績や経営状態などに基づく、投資家や銀行の評価によって、株価や格付けといった形で企業自身に跳ね返ってきます。株式会社は常に、収支のバランスも含めた経営状態や会社の実力、安定性、借金返済能力、方針、将来性など、さまざまな角度からの評価で、さらに投資や融資を続けても大丈夫そうかを、投資家や銀行から判断され続けています。
経営者は日々、この手探りの指標を念頭に、企業活動のあらゆる部分を意識し、判断、決断し、指示を出し続けています。この企業活動の結果が、相対的で客観的な信頼を維持できるものであれば、また企業活動が続けられるでしょう。
目標と結果に著しいずれがあったり、ずれに対して納得度の高い合理的な説明ができないなど、企業の経営状態が危ぶまれれば、周囲の評価、信頼性が下がり、企業活動の継続に支障がでます(こんなのは問題外ですが、損失を隠し、平穏無事な振りをしてごまかすのに失敗して破綻した、山一證券の野沢さんの、社員は悪くありませんから! という悲痛な叫びはネットで今でも見ることができます。損失を隠さざるを得なかった理由として考えられる、信頼を失うことに対する恐れは、社員に対する責任感の裏返しとも取れると思います)。
また、それなりにがんばっているつもりであったとしても、結果として、競争に負けていれば、原則として相対的な評価が下がります。株式市場への上場とは、不特定多数の株主からの評価である投資というテコの原理で競争力に弾みをつけて、さらに会社を成長させる(競争でより有利な状態にする)ための資金調達手段ですから、不特定多数の他人の評価や投資などいらぬ、自社株を持つ特定個人の基準さえ満たせておればよい、という会社は、上場する必要はありません(サントリーとかは非上場ですよね)。
努力の結果としての平穏無事(客観的な信頼性を維持している状態)は、万々歳です。平穏無事を維持、達成するために、常に成長を目指して競争をし続ける世界全体に対して、相対的に遅れないように、すべての企業は自分の設定したペースで走り続けます。遅れをとりもどせそうにないと判断された企業は信頼を失い、助けを得られず、それどころか投融資を引き上げられて、ますます競争力を失い、脱落していきます。
例外的に、オンリーワンの独占状態(に近い状態を達成した)、の企業の強みは、競争原理の働きが弱いか、ゼロという別次元の勝負ができることです。本人しだいで、プラマイゼロのちょっと貯金だって可能でしょう。(Microsoft、Apple、Amazon、google……先駆者利益という牙城の城壁の高さは計り知れず、しかも自らは周辺に打って出たり、吸収して戦場を拡大することが可能です)ブルーオーシャン、レッドオーシャン、といった表現は、その会社がいるマーケットでの、競争相手の有無や、追随可能性の大小をあらわしています。
この資本主義の行き着く先、たとえば大塚さんの言われる、地球を埋め尽くす状態、は、資本主義経済に宿命付けられた成長の過程で、もちろんありうる状態だと思います。ただ、それが、単純に皆が成長を続けたから、という意味であれば、成長を続けられることは、稀であり、地球資源のまえに、人々の所得が限られているために、まずはそのパイを奪い合う段階で限界に突き当たるし、拡大もあれば縮小もある(3歩進むこともあれば2歩下がることもある。それも、本人は全力疾走していたとしても)ため、理論的にはありうるが、実際にはなかなか起こりえない状態であるとも言えると思います。(世界人類のほとんどがネットにアクセスできる状態になる、とか、携帯電話を持つ、といった状態であればそれほど遠い未来のことではないようにも思われますが……)
先進国、後進国という高低差が、現在の経済活動の原動力の一つ(安く作って高く売る仕組み)ですから、後進国の経済成長が進んだ結果の、高低差がほぼゼロの世界、というのも将来的にありえると思いますし、興味深いと思います。そのときどうするか、はその時点の人たちの判断です。たとえば地球外への進出、開拓、殖民など。
※その3に続きます。(長文すみません)
以下、蛇足かも知れませんが……。
目下の日本経済の課題は、とにかくカンフル剤である量的緩和でなんとなく気分が高揚している間に、実体経済への好景気の波及を促すための根本的なてこ入れをしなければならないはずなのに、その明確な具体策が見当たらない(安倍さんはあるといっていますが、あまり信頼されていません)、ということに尽きることと考えます。そんな都合のいいものなんて、ねえ、という人もいたりします。
日銀からすれば、実は現状は実質金利がマイナスなので、ほうっておけば銀行が持っている国債の価値がじわじわ下がって政府債務が減少する金融抑圧状態にあり、実はそっちが本命じゃないの? と、うがった見方をする人(後述の池田さん)もいたりします。
そのため、走り続ける日本国民の鼻先にぶら下げられた、アベノミクスによる経済成長でいずれ財政再建も果たす、という希望のニンジンだけが、暗い見通しの中でますます浮き上がって見え、アベノミクスの求心力がますます強まっているのではないかと思います。
日本株式会社は、消費税率10%でGDP成長率3%でも、2020年の経常収支の黒字化に9兆円足りません。だからなんだ? という話をしだすとまたややこしいですが、リスク、つまり、被害の大きさ×発生確率は、財政の健全性、この場合は政府債務の大きさと発散傾向、に比例すると思います。
日本は戦後のどさまぎで、新円切り替え→財産税という必殺技を使い、戦時の負債を一気に償還しました。
日常至上、という大塚さんのお考えには、日本人のほとんどが同意すると思います。ですが、いや、だからこそ、その維持のために今しなければならないことが、望むと望まざるとにかかわらず、周囲の経済成長に遅れずついていく、走り続けるということになると思います。人それぞれ、自分はこうだと思う速度で走るのですが、結果、相対的に遅れすぎてしまうと脱落してしまう。無理をすればひずみが出る。正解のスピードは、誰も教えてくれない。道に穴があるかもしれないし、石が落ちているかもしれない。本当に、経済活動とは暗中模索のデスレースだと思います。ずーっと余裕のマイペースで、百年以上走り続けることができている株式会社、というのがあれば、それは本当に奇跡のような存在だと思います。日本には百歳以上の長寿の企業がかなりたくさんあります。そのほとんどは中小企業です。それらの企業の中には、創業以来、順風満帆で来た企業もあるのかもしれません。
いずれにせよ、平穏な日常が永続する、というのはいまや「終身雇用」「高度経済成長」「一億層中流」などと並ぶある種の幻想で、多くの人の実際の人生には、特に現在、そしてこれからは、さまざまな困難が想定されこそすれ、平穏無事は、一部の限られた人々のもの、という時代になってきているようにも感じます。(自然災害、近隣国との摩擦や近隣国内の紛争、国防体勢の見直し、憲法の改正、経済の低迷と格差レイヤー、財政悪化に伴う社会保障制度の大転換、少子化にともなう労働力補填の必要性と、少子化とバッティングする女性活用促進政策とのすりあわせ、労働力補填のための移民問題、一票の格差と地方分権、低賃金の移民との競争にさらされる低所得者層、などなど、現実世界の非日常性が高まってきているように感じられます)
かといって、驚天動地の困難に立ち向かって克服するフィクションが価値を失うということもないように思いますが……。
ご存知かも知れず、大変恐縮ではありますが、経済へのご興味のきっかけになるかとも思い、参考までに、日本経済について、超悲観的でシビアな見方をしている人の代表として「アゴラ研究所」所長の「池田信夫」さんを、小泉、第一次安倍政権での実績を元に、超楽観的ではあるが、現状の最善はこれしかない、という道を指し示す、安倍さんの影のブレーンと目される「政策工房」会長の「高橋洋一」さんの名前を挙げさせていただきます。両極端ではあるものの、それぞれ高い見識と、大変興味深い知見をお持ちだと考えます。
以上、長文にて大変失礼いたしました。
そもそもの疑問は、弊社の計画書みたいなのを半期に見せられるんですが、毎度毎度成長率5%とか書いてあって、
こいつら馬鹿じゃないかと思ったのです。
毎年100万円稼ぐとしましょう。これでお腹一杯食べられて貯金もできるとします。
来年は105万円稼がないと駄目だって。なんで?がんばれよとただ言われる。ちょっとがんばるけどさ。
再来年は110万円。去年がんばったじゃん。そもそも100万あれば幸せなのに。
10年後。1.05を10回かけると、168万円稼がなきゃ駄目。そもそも100万で幸せなのに、無理に決まってんじゃん。なんでだよ。
僕は理系なので、こういう現象を発散というジャンルだと知っています。
これと同じことを弊社の経営者は言ってるのです。馬鹿じゃないかと思うんです。
子供の頃、忍者入門とかで、忍者の跳躍力の鍛え方は、成長の早い麻を毎日飛び越えるのだ!と聞いて、無理でしょ、いずれ限界が来るじゃん、
と子供心に突っ込んで、誰も答えてくれなかったのと同じなのですよ。
少し脚本に戻します。
物語は人の成長を描きます。
勝手に人は成長しません。動機があってもです。
渇きがあってチャンスがあっても成長しません。
強制的に放り込まれ、自ら命を賭ける、あとに引けない冒険に、乗り出した結果で起こります。
現実世界ではそのまま死ぬリスクがありますが、フィクションでは死なない前提です。
絶対安全なフィクションですら、そこまでしないと人は成長しません。
なんで来年105万円稼がなければいけないのか、10年後168万円稼がなければいけないのか、
その理由が明示されていないのです。だから我々従業員には動機がない。
競争相手が誰か分かることが、こういう場合物語的には正しいのですかね。
発散はすぐに無限大になります。簡単な倍々ゲームにすると、42回新聞紙を折れば月に届くという話があります。
1.05と2でも、たいして結果は変わらないです。ちなみに42回1.05をかければ、7.76です。100万円が776万円になります。42年で7倍半に成長するわけないじゃない。
そんな初歩の高校数学を知らない、弊社の経営者は馬鹿だと思います。同じく株式会社システムを続ける人達も馬鹿だと思います。
どっかで麻の成長からおいてかれるじゃん。それが30年てことだとすると、30年しか持たないシステムに頼るやつは馬鹿だと思います。
satoruさんの意見を聞いてもまだ理解出来ないのが、何故己の評価を他人にされなければならないのか、です。
他人に評価されるから、人は媚びたり嘘をつくのです。
うちの親が親戚とかに見せる嘘の顔が、僕は大変嫌いです。
サントリーに就職すべきだったかなあ。
僕の仕事はものづくりです。
毎年10個つくるとして、それでも品質にはばらつきがあります。すべて違う設計図だからです。
10年後、17個つくることも、42年後に75個つくることも出来ないでしょう。
単価を上げることで対応しても、そんな値上げじゃ買われません。
だとすると、質を下げることでしか対応できません。
とすると、大岡は質の低いものをつくる人、というレッテルを貼られ、10個つくる仕事をそもそも失います。
10個つくる人を増やすことは、経営的に出来るでしょう。
僕はCM会社や映画会社という、ものづくりの会社としか縁がないのですが、
そのような株式会社の仕組みを知る限り、ものづくりの本質が株式会社の本質とずれてるのではないか、
ということが根本の疑問なのです。
勿論、株式会社にもものづくりにも精通したプロデューサーがいればなんとかなるかも知れませんが、そのような人に会ったことは、18年この業界にいますが、ありません。
毎年儲けなきゃいけない額が加速度的に増えていく台所事情に、ものづくりのコストを下げることで、会社は生き残ろうとしています。
つまり、才能を育てるコストをカットすることで。
才能は延びるかどうか本当に分かりません。ハンカチ王子のように期待が失速に変わる場合もあるし、指原のように意外な延び方をすることもあります。
才能はプールをつくり、競いあわせるのが伝統的な育て方です。
ところが、このプールを手放す会社が増えています。
東宝は伝統的な演出部を畳みました。
うちの演出部も、同期3人だったのは俺らの年だけで、同期1人や2人の年がずっと続いています。
才能がいないのではなく、雇ってプールを維持する体力がないからです。
今、フリーランスの監督を雇う事以外に、業界は興味がなくなりつつあります。
フリーランスの監督とどう出会うか、というハリウッドのような仕組みもないし、結局呼ばれる監督は、既に大成功した人だけです。
つまり同じ監督の登板ばかりが続いています。
こうやって今、業界は硬直し、空洞化がすすみつつあります。
それを無視して年成長率5%しか言わない、他人の評判のために嘘の顔をする経営者は、馬鹿だと思います。
http://blogos.com/article/100122/
これはたまたま行きつけのサイトで見ていた日本屈指のモンスター級企業の決算報告プレゼンの資料集です。(孫さんの所が、まさにうちはガチョウです、とアピールしていて爆笑しました。まさに資本主義の権化ですね。300年企業を宣言するだけはあります)
発散、という概念が理解できないのは問題ではないか、ということについてですが、大塚さんのお話からすると、私もそう思います。何も考えずに、ゴパー、ゴパーと唱えているのではないかという疑いを持ちました。(ひょっとして、5%の成長を謳っておかないと、プラマイゼロもおぼつかないのではないか、という根性論なのかもしれませんが)
ただし、根拠のある5%は、別だと思います。
(それとは別に、お金の価値は、変動する、という話もありますが、それは後述します。)
会社の成長には、その構成要素である従業員(その待遇も含まれます)の成長も含まれるのが理屈ですが、現状は実感、期待がしづらい環境なのかもしれませんね。差し出がましい口をきいてすみません。
先述の資料を見れば、各社とも、目標が先かあとかは別として、事業計画が根拠となって、株主に「このような事業計画があって、弊社の業績予測(資料にはない所もあるようですが)はこうです」と説明しています。(アリババゲットでドーン! はものすごいインパクトです。とにかくがんばります、なんて会社は無です)
大塚さんが頭をひねられるのも、御社をとりまく環境(業界の動向など)や、継続案件、新規開拓、増員、増資、さらには買収、合併などといった、成長の原資、手段となる要素が見当たらないまま、つまり環境は固定で、成長だけしろ、といわれているように感じられるからなのではないでしょうか。つまり、経営サイドが、御社の事業(特に制作部門)をあまり深く理解していないのではないかと感じました。経営陣に制作出身の方がいらっしゃったら申し訳ありません。
原則として、リーダーは、ビジョンを語るべきですが、うちは、こんな感じで行くから、がんばろう! というときの、こんな感じ、が、共感を呼ばないまでも、理解、納得できないと、メンバーもモチベーションがあがらないと思います。(なんだかブーメランな感じで辛いですが)
孫さんが以前、300年、とか言い出したとき、狂ってると思いましたが、その狂気の何割かは、周囲に伝染しているはずです。あそこの原動力は狂気だと、今確信しました。オーナー社長の会社の強みですね。
他人の評価は、やはり株式会社の宿命としか言えないのですが、なんだかすみません。日本は比較的おとなしい株主が多いようですが、アメリカは、アクティビストと呼ばれる、当事者意識、経営に参画している意識が高い株主が多いようです。物言う株主、とかってひところ流行りましたよね。
「金を出すなら、口も出す」の典型です。(金を出すなら口も出せ、といって、うちの経営者は発注サイドを巻き込みまくっていました。善後策、という知恵ですね)
以前、上場企業の知人と話していて(たぶん、その会社の事業計画について、私が何かツッこんだんだと思います)、会社は公のもの(経営者、社員、株主、銀行、顧客)だから、勝手はできんのやと言われ、大変やなあと感じたことがあります。自分がいたところは零細であっても非上場のオーナー会社で、経営の意思がすべてだったからです。そのかわり、投資という他人の助けは得られないですし、すべての活動は経営者の主観で決まります。正論だろうが、非常識であろうが、納得しないことにはテコでも動きませんでした。極論すれば、ある日突然、うちは来月で終了です、と言っても誰も何もできないわけです。私と公では、責任の所在が異なります。
昔はパトロンというスタイルが流行りました。村上隆さんは現代で、近いことを目指したのだと思います。
岡田斗司夫さん、という人は、オリジナルのシステムで、自分がやりたいことを人を巻き込んでやれるスタイルを続けています。
(すみません、続きます)
再び発散のなぞ、についてですが、お金の価値は、変動する、という資本主義経済の仕組みがあります。
現在安倍氏が目指すインフレ下では、お金の価値が継続して下がりますので、原則として業績は上げやすくなります。コストが上がるので、単価を上げる根拠にできます(気休めにもならないかもしれません、すみません)。貯金の価値は下がりますから、投資が活発化します。加熱しすぎると危険ですが、アベノミクスは、人工的で緩やかなインフレ、2%で蛇口を閉める、という安全弁付きです。
継続した、5%のインフレ下での5%の継続成長は、ゼロ成長と同義です。
現在は、5%には及びもつきませんが、若干の下駄を履ける状態です。
企業の成長は、このように、経済状況によって、順風、逆風の影響をうけます。特に、高度経済成長期などでは、他の成長要因もあいまってインフレが継続しやすいので、生き残っているだけで、どんどん成長する、といった現象が、多くの会社で見られたはずですし、現在の後進国でも、見られるはずだと思います。
(たこやき10個で100円だった子供のころが懐かしいです)
いろいろありますが、やはり、成長には根拠が必要、というのが私の見解です。
(内輪の論理で、がんばればなんとかなる、なんとかせい、という根性論も根拠だといわれればそうかもしれません。日本人は大好きですよね。辛抱も大好き)
何の根拠もない事業の成長予測をプレゼンされても、株主も首をひねるはずです。自分なら、挙手します。
私 「5%成長の根拠は何ですか?」
社長「気合と根性です」(「ヘラクレスの選択」の伊武雅刀さん風に)
私 「え? すみません、今、なんと?」
社長「気合と、根性で、やり遂げます!」
この後、株価がどう変化するかを、世界各国で検証したらどうなるか。
つきあいのあったゲームの大企業で、むかしそこここにいた、「毎日何をしているのかよくわからないおっさん」がいなくなった。今はみんな走り回ってる。と聞きました。その会社の状況はわかりましたが、それはその会社としてはたして健全か? とも思いました。グーグルは勤務時間の20%は、自由な研究開発に使え、としているそうです。
ラジオで、ジブリの鈴木さんが、押井さんに「引退しろ」と言っていました。009で石井智彦(?)プロデューサーにキレられて干されたのかなと思っていましたが、レイバーはおろか、気づいたらガルムのサイトもできていてびっくりです。
常日頃、大塚さんが唾棄すべき存在とおっしゃっておられる、マーケティングに基づいた安パイ企画探しに躍起になるサラリーマンプロデューサーが多いのも、こういう守りの姿勢(デフレマインド)が業界に浸透しているからなのかもしれませんね(パトはバランスを考えているようにも見えますが)。サラリーマンなんだから(先行き不安な社会で目だった失敗はキャリアに傷が付くので怖い)ハイリスクハイリターンはなるべく避けたい、という心理は、共感はともかく理解はできます。
また、会社では、なぜ、そうなのか、を下から上に通すために、強力な説得力が必要です。あいつがいうならしゃあない、というような、強烈な個性を持った社員(団塊の世代に多いと思います)が、いなくなってきているのではないかと思います(私は逆パターンを経験しました「あいつがあかんゆうとる、ごめん」おのれタ○○シ)。
一本の映画にその時点での人生のすべてを掛け、負けたら一から出直し、勝ったらアメリカンドリーム達成! というような独立系プロデューサーの多(かった?)いと聞くハリウッドと日本映画界の違いは、社会における資本主義の徹底度の違い、とも言えると思います。リスクをとる奴は、リターンもでかいんだ、という。反面、ハリウッドの労働組合の強力さは、カウンターバランスなのかも知れませんね。(日本人は、敗者には同情するものの、復活は厳しい。調和を乱すでしゃばりと判断すると警戒して皆で叩く。同調圧力が高く、振り子のように世論が大きく振れやすい。アメリカ人は敗者の復活にこそ共感して応援するが、目立つ失点がなくても、力強さ、決断力、積極性、影響力といったプラスイメージが足らないリーダーは不興を買う、という農耕民族と狩猟民族という国民性の違いを感じます)
とりとめのない感じになってしまい、申し訳ありません。
大塚さんの根本的な疑問には、うまく答えられていないかもしれません。
資本主義は、ベストではなくモアベターな経済システムです。つい最近も、フランスのピケティという人が、「21世紀の資本」という、資本主義の欠陥、矛盾についての本を書き、世界中で大論争を巻き起こしました。先だってご紹介した池田信夫さんが、日本語で解説本を出されるようです。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51921458.html#more
以上、再度長文にて失礼しました。
さて、議論が発散してきました。かようにエントロピーというのは増大しがちです。
(高校理系の数学基礎解析、物理の熱力学を日常のたとえに使っています)
元に戻すと、なぜ今邦画は詰まらないのか?になります。
昔は資金調達は映画会社の自社内でした。
あるいは太いスポンサーがいました。
バブルがはじけてスポンサーがいなくなると、プロデューサーが資金を調達するところはどこかというと、主に銀行なんですよ。
銀行が脚本や企画書を読める訳がない。面白いからやりたいんだ、世の中にはこれが受ける、という我々のプロフェッショナルとしての勘や批評は通用しません。
銀行が求めるのは、それこそ5%のような数字の根拠です。
原作○万部、○%の視聴率を持つ○○主演、というビジネスモデルが乱造されているのはそのためです。
脚本が読めない人が億や何千万を投資するからには、内容じゃなくて数字なのです。
(その数字になんの意味もなかったことは、累々たる死体を見れば明らか)
テレビ局が資本に入るのは、自社で広告できるからです。(映画会社は広告宣伝料を払わなければなりません。それは純粋制作費の2倍程度と言われます)
さて。脚本(ストーリー)と全く関係ないところの、これは金勘定や投資の話です。
観客はストーリーを見に来るのに、投資はその本体ではなく、数字の話をしているのです。
中身とビジネスがずれて当然です。
我々は数字では測定できない、ストーリーという摩訶不思議なものをつくるのです。数値化出来ないにも関わらず、面白いから詰まらないのあるものです。
このようなものを、株式会社やら、銀行やらが、数字で扱うことの根拠が、僕にはまるで分からないのです。
プロデューサーはサラリーマンですが、志ある人はいるでしょう。しかし資金提供側がさらにガチガチのサラリーマンですから。
漫画や小説は、おそらくコストという点でなんとかなるのでしょう。
しかしこと映画に関しては、億単位のコストだから、としか。
ここから先は億単位の投資の話になり、僕の把握しきれない世界になるでしょう。
にも関わらず、僕らが作品をつくったり、見て楽しんだり批判したりすることは、5%成長と関係ない、平穏無事であればよい世界の筈です。
一体株式会社とは、何をする会社なのでしょうか。
詳細は忘れましたが、田舎で釣りをしてる人に、都会から来たビジネスマンが話しかけるジョークがあります。
○毎日釣りをして儲かるのかい。
●のんびり釣りをしてその日の飯にして、家族と団欒できればそれでいいさ。
○俺なら釣りをビジネスにする。船を買い、船団をつくり、大量に釣って大量に売る。ビジネスが回ってきたら都会にビルを建て、船団は他の人に任せて資金を元手にビジネスをはじめるね。
●それで?
○必死に働いて、一代で財を築くのさ。
●それから?
○年を取ったら引退して、その金で郊外に土地と家を買って、釣りでもしながら家族と暮らすよ。
●じゃ俺は今のままでいいや。