僕が数を書け、と言っているのにはいくつか理由があるのだが、
そのひとつでまだ書いてなかったこと。
一本目が膿を出す作品になりがちだということ。
子供を生むことに例えると、
長男長女は、母親の体内に残った毒を引き継いで生まれ、
それですっかり毒がなくなった母親は、
次男次女以降健康なループが回るという。
だから次男次女は体が強く、先天症もないという。
科学的根拠は知らないが、よく聞く話だ。
(都市伝説かも知れない)
子供に関しては分からないが、
作品に関してはこれは言える。
最初に生み出すものは、
それまでの不満や理想がこもりすぎ、
ギクシャクしたものになりがちだということ。
逆にそうやって膿を出しておくと、
二作目以降は、慣れてくるのか、
スムーズな作品を生み出せるということ。
我々は作品を生み続ける、養鶏場の鳥だ。
しばらく生まない期間があくと、
生み続けることを思い出せなくて、
一個目は失敗作になり、
二個目以降が生み続けるレベルになることが多い。
プロは一個生んで終わりではない。
生み続けるのが一生だ。
生まない期間より、生む期間のほうが多いはずだ。
そのような経験則から言うと、
一個目は生まなかった期間にたまった膿が出やすいのだ。
それまで貯めた、作れなかったときの不満や、
こうあるべきだという、自分の実力以上の理想に走りすぎ、
勝手に枠を嵌め、
肩に力が入りすぎてしまうのだ。
デビュー作なんて大抵そうだろう。
はじめての部活の試合のようなものだ。
周りが見えてなくて、周りとはどこまでをいつ見ればいいのかも分からなくて、
エネルギーの使いどころが分からず空回りし、
使ったエネルギーに対するリターンなんて僅かだ。
だから、一作目の上澄みは捨てて、
二作目以降が自分の実力が自由に出た、
風通しのよいものと思うとよい。
アイデア出し、プロット出しなどでは、
必ず複数出す癖をつけよう。
慣れていないとひとつしかいいものが出せず、
それ以外に出せないから、
ひとつ目のそれに飛びついてしまう。
それはまだ膿を含んでいるものかも知れないのに。
勿論、慣れていれば、考えに考えた、
一発目がいいこともある。
それでも、第二案以降の自由さには叶わないことが多いのだ。
必ず複数を出そう。
これは複数案出さなければいけない、
CMの現場で鍛えられたことであり、
そこからの経験則だ。
(新しくCMを作るとき、一人5案では少ない方で、
10案20案は当たり前だ。一ヶ月企画し続けたときは、
厚み2センチぐらい企画を出したものだ。一本しかつくらないのにね)
一個目は、鋭いが硬い。
二個目以降は、鋭くはないが自由闊達な感じがする。
(そのまま長男長女と、次男次女の性格に似ている。
隙間の多さと関係している気がする)
子供は二人以上生め、という経験則は、
人口調整的な意味ではなく、
アイデアが生き残る、本能的な戦略と、
実際的なアイデアの形の性質に由来するのだと思う。
一個目は過去が出る。
二個目以降は現在が出る。
そんな感じだ。
数を出すことに慣れよう。
どうせあなたは、寡作か多作かは置いといても、
沢山の作品を世に出す生き物になるのである。
2014年12月01日
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