2014年12月01日

膿を出す

僕が数を書け、と言っているのにはいくつか理由があるのだが、
そのひとつでまだ書いてなかったこと。

一本目が膿を出す作品になりがちだということ。


子供を生むことに例えると、
長男長女は、母親の体内に残った毒を引き継いで生まれ、
それですっかり毒がなくなった母親は、
次男次女以降健康なループが回るという。
だから次男次女は体が強く、先天症もないという。
科学的根拠は知らないが、よく聞く話だ。
(都市伝説かも知れない)

子供に関しては分からないが、
作品に関してはこれは言える。
最初に生み出すものは、
それまでの不満や理想がこもりすぎ、
ギクシャクしたものになりがちだということ。
逆にそうやって膿を出しておくと、
二作目以降は、慣れてくるのか、
スムーズな作品を生み出せるということ。

我々は作品を生み続ける、養鶏場の鳥だ。
しばらく生まない期間があくと、
生み続けることを思い出せなくて、
一個目は失敗作になり、
二個目以降が生み続けるレベルになることが多い。

プロは一個生んで終わりではない。
生み続けるのが一生だ。
生まない期間より、生む期間のほうが多いはずだ。

そのような経験則から言うと、
一個目は生まなかった期間にたまった膿が出やすいのだ。


それまで貯めた、作れなかったときの不満や、
こうあるべきだという、自分の実力以上の理想に走りすぎ、
勝手に枠を嵌め、
肩に力が入りすぎてしまうのだ。
デビュー作なんて大抵そうだろう。
はじめての部活の試合のようなものだ。
周りが見えてなくて、周りとはどこまでをいつ見ればいいのかも分からなくて、
エネルギーの使いどころが分からず空回りし、
使ったエネルギーに対するリターンなんて僅かだ。

だから、一作目の上澄みは捨てて、
二作目以降が自分の実力が自由に出た、
風通しのよいものと思うとよい。

アイデア出し、プロット出しなどでは、
必ず複数出す癖をつけよう。
慣れていないとひとつしかいいものが出せず、
それ以外に出せないから、
ひとつ目のそれに飛びついてしまう。
それはまだ膿を含んでいるものかも知れないのに。

勿論、慣れていれば、考えに考えた、
一発目がいいこともある。
それでも、第二案以降の自由さには叶わないことが多いのだ。

必ず複数を出そう。
これは複数案出さなければいけない、
CMの現場で鍛えられたことであり、
そこからの経験則だ。
(新しくCMを作るとき、一人5案では少ない方で、
10案20案は当たり前だ。一ヶ月企画し続けたときは、
厚み2センチぐらい企画を出したものだ。一本しかつくらないのにね)

一個目は、鋭いが硬い。
二個目以降は、鋭くはないが自由闊達な感じがする。
(そのまま長男長女と、次男次女の性格に似ている。
隙間の多さと関係している気がする)


子供は二人以上生め、という経験則は、
人口調整的な意味ではなく、
アイデアが生き残る、本能的な戦略と、
実際的なアイデアの形の性質に由来するのだと思う。


一個目は過去が出る。
二個目以降は現在が出る。
そんな感じだ。

数を出すことに慣れよう。
どうせあなたは、寡作か多作かは置いといても、
沢山の作品を世に出す生き物になるのである。
posted by おおおかとしひこ at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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