2014年12月03日

どんなしょぼい絵でも

どんなしょぼい俳優が演じても、
どんなしょぼい絵でも、
どんなしょぼい音楽でも、
果たしてそれは面白い映画か?


絵にも音楽にも役者にも頼らなくとも、
本当に面白いのが、面白い話だ。

安い絵でも、適当な音楽でも、下手な役者でも、
面白い話は世の中に存在する。

それは、脚本が面白いからである。

証拠は、ドラマ風魔の小次郎で2007年に示した。

ロケ地がしょぼい、
絵は安い(第一話の観客の少なさよ!)、
音楽だって十分じゃない、
俳優だって元々うまいやつは壬生ぐらいなもんだ。みんな無名だ。
CGだってしょぼい。

どんなものが出来上がるか、原作ファンは最初がっかりしたかも知れない。
しかし、つくりの安さに対して、
我々は中身の面白さ、つまり脚本だけは譲らなかった。
だから面白かったのだ。

ワイヤーだって安い。蜂の巣だって安い。
エキストラだって変なのばっかだし、セットも安い。
殺陣だって真剣じゃなくて木刀じゃねえか。(原作準拠だけどね)

にも関わらず、最初のギャグパートからトンデモドラマに突っ走り、
そのまま巻き込む、ストーリーの力。
そのストーリーの強引な巻き込み力だけは、
車田マンガのそれに近づけたつもりである。

5話6話まで見れば、もう虜だろう。そこから最終回までは一直線だ。
もう終わりと意識したら、一抹の寂しさすら感じる。
それは、良いストーリーだけが持つ感情である。

一方、
豪華で上手いキャスト、
豪華で凄い絵、
豪華で流行の音楽、
ヒットしている筈の原作をベースにしたストーリー、
のもので、
まるで面白くないものがあるのは何故だか分るだろうか。

脚本が詰まらないからだ。

風魔の面白さとの差はなんだ。脚本なのだ。
面白い脚本さえあれば、スタッフもキャストも勝手に頑張る。手を抜かない。
だってみんな、面白いものを作る為に、それに憧れてこの業界に入ったのだもの。
詰まらない脚本なら、みんな手を抜くに決まってるじゃないか。

全ては脚本だ。
絵とか音楽とかキャストではない。


だから僕は、良い脚本とはどのようなものかについて、
コツコツと書いている。
少しでもみんなに脚本のことを分ってほしいし、
いい脚本を書く人が増えてほしい。
結果、僕以上に才能のある人が僕を駆逐してくれても構わない。

面白い脚本が全てなのだ。それが分っている人が本当にいるだろうか。
あるいは脚本だけ並べて、面白い脚本かどうかちゃんと判定出来る人が、
どれくらいいるのだろうか。
分る人を、僕は増やしたい。

CGを売りにする?キャストを売りにする?原作を売りにする?
そんな商売はおかしい。
脚本を売りにするべきだ。「これは面白い話である」ということを。
posted by おおおかとしひこ at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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