どんなしょぼい俳優が演じても、
どんなしょぼい絵でも、
どんなしょぼい音楽でも、
果たしてそれは面白い映画か?
絵にも音楽にも役者にも頼らなくとも、
本当に面白いのが、面白い話だ。
安い絵でも、適当な音楽でも、下手な役者でも、
面白い話は世の中に存在する。
それは、脚本が面白いからである。
証拠は、ドラマ風魔の小次郎で2007年に示した。
ロケ地がしょぼい、
絵は安い(第一話の観客の少なさよ!)、
音楽だって十分じゃない、
俳優だって元々うまいやつは壬生ぐらいなもんだ。みんな無名だ。
CGだってしょぼい。
どんなものが出来上がるか、原作ファンは最初がっかりしたかも知れない。
しかし、つくりの安さに対して、
我々は中身の面白さ、つまり脚本だけは譲らなかった。
だから面白かったのだ。
ワイヤーだって安い。蜂の巣だって安い。
エキストラだって変なのばっかだし、セットも安い。
殺陣だって真剣じゃなくて木刀じゃねえか。(原作準拠だけどね)
にも関わらず、最初のギャグパートからトンデモドラマに突っ走り、
そのまま巻き込む、ストーリーの力。
そのストーリーの強引な巻き込み力だけは、
車田マンガのそれに近づけたつもりである。
5話6話まで見れば、もう虜だろう。そこから最終回までは一直線だ。
もう終わりと意識したら、一抹の寂しさすら感じる。
それは、良いストーリーだけが持つ感情である。
一方、
豪華で上手いキャスト、
豪華で凄い絵、
豪華で流行の音楽、
ヒットしている筈の原作をベースにしたストーリー、
のもので、
まるで面白くないものがあるのは何故だか分るだろうか。
脚本が詰まらないからだ。
風魔の面白さとの差はなんだ。脚本なのだ。
面白い脚本さえあれば、スタッフもキャストも勝手に頑張る。手を抜かない。
だってみんな、面白いものを作る為に、それに憧れてこの業界に入ったのだもの。
詰まらない脚本なら、みんな手を抜くに決まってるじゃないか。
全ては脚本だ。
絵とか音楽とかキャストではない。
だから僕は、良い脚本とはどのようなものかについて、
コツコツと書いている。
少しでもみんなに脚本のことを分ってほしいし、
いい脚本を書く人が増えてほしい。
結果、僕以上に才能のある人が僕を駆逐してくれても構わない。
面白い脚本が全てなのだ。それが分っている人が本当にいるだろうか。
あるいは脚本だけ並べて、面白い脚本かどうかちゃんと判定出来る人が、
どれくらいいるのだろうか。
分る人を、僕は増やしたい。
CGを売りにする?キャストを売りにする?原作を売りにする?
そんな商売はおかしい。
脚本を売りにするべきだ。「これは面白い話である」ということを。
2014年12月03日
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