2014年12月03日

目的がないからやー!

クォータースターコンテストに参加して良かったのは、
唯一この台詞を聞けたことだ。

どの劇団のなんという作品か思い出せないが、
こういう場面だった。
特撮番組の劇団という設定のコメディだった。
その中のベテランが、若手に言うのである。


おう、お前、ちょっと歩いてみい。
はい。(と歩く)
全然あかーん!芝居になってない!もう一回!
はい。(と歩く)
お前全然芝居わかってないやんけ!なんであかんか分かるか?
いえ。
目的がないからやー!ただ歩くんでも、ただ歩いてる奴なんかおらん!
歩く目的を考えなあかんやろー!

字句は大分違うが、大体こんな内容だった。
そうか、とはたと膝を打った。

芝居には目的がいるのだ。


ただ歩く、ただ言う、ただ座る、そんな芝居はないのだ。
何のためにそれをするのかがないと、芝居ではないのだ。
そしてその目的は、本来脚本に書いてあるものなのだ。

勿論、明示的に書いてあるわけではない。
暗示的だ。
暗示するというより、話を読めば分かるように書いてあるはずなのだ。

分からないのは、
役者が文脈を読みきる読解力がないか、
そもそも脚本段階で考えられていないかの、
どちらかなのだ。



助監督の仕事の中に、エキストラの配置と芝居づけがある。
例えば商店街でメイン人物が会話するとき、
後ろの通行人の動きや配置を決めるのは助監督がやる。

下手な助監督は、位置を決めて歩く方向を決めるだけだ。
一応形にはなるが、人というオブジェクトが動いているだけの、
模様に過ぎない感じになってしまう。
それは何故か?
目的がないからや。

上手な助監督は、位置と導線だけでなく、目的を与える。

はいあなた、安売りに間に合わないから急いで下さい。
はいあなた、まだ夕食の献立がきまっていないので色々見ながら組み立てて、
はいあなた、隣の人とどっちのスーパーが安いか話しながら、
はいあなた、肉屋と魚屋でまよった挙げ句、魚屋を目指してください、
はいあなた、電話で息子になに食べたいと聞きながら、
はいあなた、メモを出そうと思って探しながら、
などなどだ。

勿論、見た目に区別のつかない芝居をつける意味はない
(今晩のメニューをビーフシチューにしようかなと思うことと、
彼女の誕生日はいつだっけと考える芝居は、区別がつかない)
から、見た目で違う芝居をするような、目的を与えるのである。

これを優秀な助監督なら、10分やそこらで形にする。
コツは全員に細かくつけるのではなく、目立つ人をつくることだ。


背景のエキストラにすら、目的がある。
(例えばインザヒーローの、出演が決まったー!と主題歌が流れて、
唐沢が商店街を走るとき、そのエキストラには、目的のある芝居がつけられていない。
だから単なる模様に見え、街の息吹が伝わってこない)

そのレイヤーより前にいる筈の、主要人物や脇役に目的がないのは、
脚本としておかしいのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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