2014年12月04日

テーマは絶対言ってはいけない

一種の縛りだと思おう。

テーマを絶対言わずに、テーマを分からせる話づくりを心がけよう。


まずそんなもの関係なしに、
面白い話を考えるべきだ。
最初から面白く、次も面白く、最後まで面白いものをだ。
まずそれが出来ないと、話にならない。

詰まらない話は、存在の価値がない。
これができないなら、あなたは脚本家にはなれないし、
脚本を書いてはいけない。
(現在の映画界の問題は、脚本を書いてはいけない才能のレベルの人が、
書いていることだ)

面白い話をつくれたときに限り次へ進める。


次にすべきことは、
見終わった人に、この話のテーマは何?と尋ねて、
概ね合っているようにしなければならないことだ。
しかもその言葉を劇中で言うことなく。


下手な人は、どこかで主張をしてしまう。
さりげなく、なんてのはましな方だ。
最悪は、主人公が「人間とは○○であるべきだー!」
などとラストで叫んだりする。
そんなものはウンコである。
それは説教や論文であり、面白い話ではない。

面白い話は、一切テーマを言わない。一言もだ。

言わないのに、見終わった人にそのテーマが分かるのだ。
これはテレパシーでもオカルトでもなんでもない。

人はきちんとした物語からは、テーマを読み取る読解力を持っている。
それが楽しめ、心から深く感じ入れば、
自ずとテーマを読み取るように出来ている。
逆に、深く感じ入っていない限り、
テーマについて自分の言葉で考えようとすらしないだろう。



脚本の教科書では、まずテーマを、と、
最初にテーマを設定せよと教えたりする。
僕はこれは間違いだと思っている。

作劇の下手な人が、最初からそれが出来る筈がないからだ。
まずは面白い話を書けるようになるべきだ。
ツカミがあり、展開があり、落ちのある話を書けるようになるべきだ。
感情移入やどんでん返しが出来るようになるべきだ。

そのあとに、
ようやくテーマを埋め込む段階に至るのだ。
それが自在に出来るようになってはじめて、
教科書のような、テーマからつくる作劇をすればいいと思う。



面白い話にテーマを埋め込むのは簡単である。
悪役が何を象徴するか、
主人公が何を象徴するかを考えればよい。

人は象徴からメッセージを読み取ることが出来る。

悪役の象徴する価値(例えばエゴイズムや拝金主義)はダメで、
主人公の象徴する価値(例えばみんなのことを考えることや、
世の中金だけじゃないこと)が、いいことだ、
ぐらいはすぐに読み取れるだろう。

何が敗北して何が勝利するか、
というタイプの物語は必ずそうなる。
つまりハッピーエンドの構造だ。

バッドエンドはこの逆だ。
主人公の象徴する価値はダメだ、というのがメッセージになるだろう。
ビターエンドであれば、さらにその結論は微妙になってくるだろう。

テーマはつまり、結末で決まるのである。

主人公がラストにテーマを叫ぶのは最低のウンコだ。
象徴とか、勝利敗北などを、
何も考えていないことの証拠だからだ。


まずは面白い話を書け。
そこにテーマを埋め込め。
ただし一言もテーマについて書いてはいけない。

そこまで出来て、ようやく一人前だ。


勿論、正義の勝利で悪の敗北(勧善懲悪)なんて、
ありがちなテーマを選ぶのは、志が低いか、
バリエーションがなさすぎるかどちらかだ。
もっと世の中と向き合ったほうがいい。


そこまで出来たら、
ようやくそれだけでないテーマの言い方のバリエーションを、
模索してよい。(その頃には中級者卒業だろう)
posted by おおおかとしひこ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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