一種の縛りだと思おう。
テーマを絶対言わずに、テーマを分からせる話づくりを心がけよう。
まずそんなもの関係なしに、
面白い話を考えるべきだ。
最初から面白く、次も面白く、最後まで面白いものをだ。
まずそれが出来ないと、話にならない。
詰まらない話は、存在の価値がない。
これができないなら、あなたは脚本家にはなれないし、
脚本を書いてはいけない。
(現在の映画界の問題は、脚本を書いてはいけない才能のレベルの人が、
書いていることだ)
面白い話をつくれたときに限り次へ進める。
次にすべきことは、
見終わった人に、この話のテーマは何?と尋ねて、
概ね合っているようにしなければならないことだ。
しかもその言葉を劇中で言うことなく。
下手な人は、どこかで主張をしてしまう。
さりげなく、なんてのはましな方だ。
最悪は、主人公が「人間とは○○であるべきだー!」
などとラストで叫んだりする。
そんなものはウンコである。
それは説教や論文であり、面白い話ではない。
面白い話は、一切テーマを言わない。一言もだ。
言わないのに、見終わった人にそのテーマが分かるのだ。
これはテレパシーでもオカルトでもなんでもない。
人はきちんとした物語からは、テーマを読み取る読解力を持っている。
それが楽しめ、心から深く感じ入れば、
自ずとテーマを読み取るように出来ている。
逆に、深く感じ入っていない限り、
テーマについて自分の言葉で考えようとすらしないだろう。
脚本の教科書では、まずテーマを、と、
最初にテーマを設定せよと教えたりする。
僕はこれは間違いだと思っている。
作劇の下手な人が、最初からそれが出来る筈がないからだ。
まずは面白い話を書けるようになるべきだ。
ツカミがあり、展開があり、落ちのある話を書けるようになるべきだ。
感情移入やどんでん返しが出来るようになるべきだ。
そのあとに、
ようやくテーマを埋め込む段階に至るのだ。
それが自在に出来るようになってはじめて、
教科書のような、テーマからつくる作劇をすればいいと思う。
面白い話にテーマを埋め込むのは簡単である。
悪役が何を象徴するか、
主人公が何を象徴するかを考えればよい。
人は象徴からメッセージを読み取ることが出来る。
悪役の象徴する価値(例えばエゴイズムや拝金主義)はダメで、
主人公の象徴する価値(例えばみんなのことを考えることや、
世の中金だけじゃないこと)が、いいことだ、
ぐらいはすぐに読み取れるだろう。
何が敗北して何が勝利するか、
というタイプの物語は必ずそうなる。
つまりハッピーエンドの構造だ。
バッドエンドはこの逆だ。
主人公の象徴する価値はダメだ、というのがメッセージになるだろう。
ビターエンドであれば、さらにその結論は微妙になってくるだろう。
テーマはつまり、結末で決まるのである。
主人公がラストにテーマを叫ぶのは最低のウンコだ。
象徴とか、勝利敗北などを、
何も考えていないことの証拠だからだ。
まずは面白い話を書け。
そこにテーマを埋め込め。
ただし一言もテーマについて書いてはいけない。
そこまで出来て、ようやく一人前だ。
勿論、正義の勝利で悪の敗北(勧善懲悪)なんて、
ありがちなテーマを選ぶのは、志が低いか、
バリエーションがなさすぎるかどちらかだ。
もっと世の中と向き合ったほうがいい。
そこまで出来たら、
ようやくそれだけでないテーマの言い方のバリエーションを、
模索してよい。(その頃には中級者卒業だろう)
2014年12月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック