2014年12月04日

正しい予告編

先ほどツタヤにいってきて、渇き。のポスターが、
ベタベタ貼ってあるのを見てきた。
下手くそなつくりだと思った。
ちっともヒキがない。

いい加減、タイトルとキャストしか売りのない予告の仕方を止めたらどうだろう。

正しい予告とは、
第一幕のあらすじから、センタークエスチョンの提示までを言う。


例えば、渇き。は、次のようなヒキにするべきだ。
役所広司演じる主人公の名を忘れたので、以下主人公と表記。

主人公は既に狂っているのか?
刑事をやめ、離婚を切り出された主人公は、
家出したままの娘を探している。
謎の連続殺人と、行方不明の娘に関連があると踏んだ彼は、
彼女を探す旅に出る。
彼女は何処にいるのか?彼の周りで何が起こっているのか?

伝統的な三幕構成からやや歪んだ話であったから、
少々心もとないが、
概ね第一幕のあらすじとセンタークエスチョンを示せたと思う。


同様に、いけちゃんとぼくはこのようにすべきである。

いじめられっ子ヨシオには、彼にしか見えないオバケの友達、
いけちゃんがいる。
どんなことがあってもいけちゃんに相談すれば解決、
というわけではなく、毒舌や独特のやり方でヨシオの相手をしてくれるだけだ。
ある日突然父が死に、ヨシオは人より早く大人になる必要がやってくる。
いじめっ子たちにはじめて立ち向かうヨシオ。
大人になるってどういうこと?
いけちゃんは大人になると見えなくなるの?


つまり、おはなしの触りを、予告編で中心にすべきである。

タイトルとキャストは、そのあとでよい。
まずはどんな話かが、一番大事だ。
客はタイトルやキャストを見に来るわけではない。

話を見に来る。

そんな当たり前のことに、たち戻るべきである。

こういう触りが書けない奴は、宣伝部の資格がないと思う。
自分達の商品が何か分かっていないのである。



キャッチコピーは、これを更に短くしたものだ。
これは更に才能がいる。
いるから、僕は下手なものならなくてもいいと思っている。
僕の書いたいけちゃんのコピーは、
「ありがとう。あいしてる。」だったことは、どこかに書いたかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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