中盤の厚みの話あたりから、桃太郎批評を通じて見えてきたもの。
素人は、二つの要素を繋げてストーリーにすることが出来るが、
三つ目に来るとガクンと詰まらなくなり挫折する。
一方、ストーリーテラーは、三つ(四つ以上)を繋げて一本の因果関係、
というストーリーをつくることが出来る。
(2時間の映画では、数十個から百ぐらいを繋げて一本にするとよい)
この場合、ひとつとは、ターニングポイントに挟まれた単位である。
ある話題Aを話すことは、誰にでも出来る。
あるターニングポイントがあり、
話題や流れがBにうつる。
素人が出来るのはここまでで、
ストーリーテラーは、更にターニングポイントを作り出し、
Cへ話をうつしても、まだ面白い話を続けることが出来る。
素人が作れる話は、Aが振りでBが落ちになるものだ。
ストーリーテラーの作る話は、
Aが振りで、Bが展開、Cが落ちになるものであり、
展開部は、更にいくつもの段階に分けることが自在に出来る。
それを応用し、ACもいくつもの段階に分けることが出来る。
こうして映画は数十個から百のターニングポイント構造を得る。
ストーリーテリングの基本は、
だから、二つの要素を繋げて語ることではなく、
三段階で語ることである。
三つの話題や流れをターニングポイントで繋ぎ、
なおかつそれらが、はじまり、展開、落ちになることだ。
はじまり、展開までは、比較的誰にでもつくれる。
大抵上手い落ちがつくれず、話が行方不明になる。
(プロでも沢山ある。エヴァはその典型だ。
マルホランドドライブ、ゾディアック、殺人の追憶などの、
未解決落ちは、明らかにこれである)
はじまり、落ちの二段で完結する話も、
比較的誰にでもつくれる。
これは日常会話でもよく使われる。
自分の体験談や、仕事のレポートなどで。
前提を話し、結論で落とす。
これは面白い話というより、論文的である。
(面白い話と論文の違いについては、最近書いた)
構造がはっきりした論理で話せる。
しかしこれは、第三者への感情移入を伴う、劇の構造ではない。
今一度言う。
二つで終わるのは、面白い話ではない。
面白い話とは、三つ以上の構造があるのだ。
素人とストーリーテラーの能力を分けるのは、
ここの部分ではないかと思った。
素人の作る話は、展開がない。
前振りが終わったらすぐに解決してしまう。
素人の作る話は、論文だ。
結論を先に言い、状況を示したら、結論に至る。
素人の作る話は、落ちがない。
前振り、展開でおしまいだ。
一方、ストーリーテラーの作る話は、
はじまりがあり、展開があり、落ちがある。
三つ以上の話題が、一本の因果関係という線になる。
それぞれのブロックの間には、
明確で劇的なターニングポイントがある。
勿論、それらをスムーズに繋げるために、
伏線を引いて繋げることや、対比や反復を使うこともあるだろう。
三題噺は、この「三つの構造」をトレーニングするのに、
最適ではないかと感じる。
落語の三題噺は、笑いや粋や言葉遊びに落ちなければいけないだろうが、
我々ストーリーテラーの為の三題噺は、
三つの要素(なるべくバラバラの三つの言葉がよい)を含みさえすればよい、
という条件で、「面白い話」を書くことだ。
(この場合の面白いは、爆笑とは限らず、感心や号泣や知的刺激や恐怖などの、
物語がもたらす感情全てを含む)
プロットでもいいし、会話劇でもいい。
三つ以上の構造を持つ話を、ペラ一枚ぐらいでつくろう。
僕は会社に入って最初の何していいか分からない暇なとき、
50の三題噺を書いた。今思えば100までやっとくべきだった。
5分シナリオでもいいし、二時間に相当するプロットでも構わない。
話として面白ければなんでもいい。
三つが無意識に出来ていれば、あなたはストーリーテラーの才能がある。
出来てない人は、意識的にトレーニングするといい。
発端→ターニングポイント→展開→ターニングポイント→落ち
をだ。
2014年12月06日
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