どんな些細なことでもいい。
主人公や主要人物を、ちょっといいなと思う瞬間を、
いくつもつくろう。
一人にひとつは最低欲しい。
それはキャラを立てる為だ。
プロットを表現するロボットではなく、
生きた人間だと感じさせる為だ。
プロットや行動や動機は理屈だが、
そこに感情が入ってくるようにするのだ。
凄い正義の味方だったり、
優等生でなくてもいい。
むしろ欠点があったり、失敗するところを、
人は好きになったりする。
憧れから入り、等身大の魅力を発見したり、
大したことないとなめてたら、
内に物凄いものを秘めてて見直すときもある。
いわゆるギャップだ。
人間の細やかな感情を観察する、作家的な目が必要だ。
特に重要な人物は、いくつそんなことがあっても構わない。
人の魅力はひとつだけでなく、
様々な角度があるものである。
ちょいちょいそれらを拾ってエピソード化してゆき、
その人の魅力を描いていく。
それらは創作でもいいし、
実体験でも取材でもいいし、
リアリティーのある妄想でも構わない。
この人がこんなシチュエーションにいたら、
と妄想することが、それらのエピソードの栄養である。
恋愛少女マンガはその宝庫だ。
何だかんだ言って、私この人好きー!
というエピソードが大半である。
むしろ少女マンガは、ストーリーよりも、
その好きー!のバリエーションを楽しむジャンルかも知れない。
特に女子は、それだけで一生発電出来る生き物かも知れない。
(男子はそこまで人とか、好きに興味がない)
女性作家のほうが、僕は人物描写が上手いと思う。
それは、やはりその人の好きな所を観察したり、
見つけたり、執着するのが上手いからだと思う。
少女マンガはそれを全面的にやるジャンルだ。
(似たジャンルにジャニーズヲタや、
キャラ萌えの二次創作があると思う。彼女たちの発電力たるや。
男作家はそこまで人を好きということに執着しない。
どちらかというと性欲の方が勝る)
人物を好きになるエピソードに、得意不得意はあるだろうが、
それが豊富であることに越したことはない。
人物が生き生きとし、感情移入しやすくなるからだ。
この人が好き、と観客に思わせたら、そんな幸せなことはない。
(下手なやり方は、そのキャラクターを好きになるべきなのに、
それを演じる役者を好きにならせてしまうことだ。
ジャニーズ映画はまさにそれで、役ではなく中の人を好きになってるだけだ)
注意すべきことは、
人物を好きになるエピソードが、単独で存在しないことだ。
映画はストーリーである。
ストーリーの進行が一大事であり、
その焦点こそが観客を椅子に縛り付ける力である。
それを止めてまでそんなエピソードを挿入してはいけない。
そして、そのエピソードは、
ストーリー進行に関わる形でのエピソードであることが重要だ。
つまり、ストーリー解決の一過程で、
その人物なりの進め方で、その人の魅力を出していくのが最適である。
魅力のエピソードはエピソード、ストーリー進行は進行、
ではなく、
同時に存在することが理想である。
(なかなか上手くいかないけどね)
ストーリー進行と関係ない、その人物の魅力を描くエピソードを
挿入できるチャンスが、一回だけある。
初登場時である。
初登場はインパクトを持っていることも重要だが、
そのインパクトでその人を好きになることができるかも重要だ。
(ブレイクシュナイダーのいう、save the catの法則。
ピンチの猫を救うような、と表現されている)
逆に初登場以外では、必ずストーリー進行と魅力は、同時に描くべきである。
ストーリー進行をしながらも、
隙あらばその人物の魅力を些細でも感じさせるエピソードに化けさせよう。
人は人を一発で0から100に好きにはならない。
(一目惚れ以外は)
少しずつ色々な角度や間で、好きになっていくものだ。
また、感情移入と好きは、別の感情であるが、
好きだと感情移入がとてもしやすいことは、忘れない方がいい。
また、悪役は逆に、隙あらば嫌いな面を見せていこう。
どんな瞬間にも嫌いになるようにしていこう。
ちょっとでも好かれる面を見せてはだめだ。
同情の余地のない人物像へ仕立てあげていくのが、いい悪役のコツだ。
もしいまいちな登場人物がいたら、
その人の魅力を描こう。
ないなら、発見できるまで、
その人の過去や現在に至るまでなどを創作したりしてみよう。
作者も好きじゃない人物を、皆も好きだと共有出来る訳がない。
2014年12月07日
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