以前にも書いたかも知れないが、
鶴瓶とざこばの「らくごのご」という深夜番組は凄かった。
客席から三つのランダムなお題(名詞や一言ぐらいの長さ)
をもらい、十分とかそこらで、
二人がそのお題を全部含んだ即興落語を披露するという、
我々ストーリー創作者にとって、
胃が痛くなる、そして興味深い番組であった。
関西限定で、一年くらいやってたかな。
流石にネタの仕入れが難しくなって、それほどには続かなかったのかもだ。
僕は毎回テレビの前で即興で考えては、
彼ら二人のストーリー創作力と勝負したものだ。
今思えば、それは一年毎週のトレーニングだった。
鶴瓶が台本なくただ面白いことを思いついて喋るだけ、
というアドリブ的スタイルは、
上岡龍太郎と組んだ「パペポTV」を鏑矢に、
ざこばとの「らくごのご」、
即興ドラマの「スジナシ」、
オセロ松島とのタイトル忘れた、
など、思いついたときに相手を変えてやるような感じである。
鶴瓶の頭の中身がどうなっているかは分からないが、
らくごのごの三題噺に話をしぼろう。
話には、発端、展開、落ちという三つの要素が必要だ。
これについては最近特に議論している。
特に、落ちに関する伏線のようなものの前ふりを、枕と言うこともある。
(ABCでいえば、A以前にCの伏線を仕込むことだ)
三題は、話のうちどこに使っても構わない。
理想は、重要な所に使うことだが、
主人公の読んでる雑誌のタイトル、なんて逃げ方もある。
(番組内では、厳しい大阪の観客が、
そんなんずるいと突っ込んで、やかましいわこっちも苦しいんじゃ
みたいな一幕もあったような記憶がある)
理想は、発端(事件)、展開、落ち(解決、結末)の、
三つにそれぞれその三つの言葉を入れ込むことだろう。
とは言え、わざとバラバラの、ジャンルも似てない三語をお題にするのだから、
そうそう都合よく面白い話が思いつく保証もない。
その困難さや、上手いこと落ちるのかが、三題噺の面白さでもあるのだが。
だから、発端に三つを使ってしまいあとは自由につくったり、
冒頭に二つ使って話を転がしながら、落ちに最後を使うように持っていくやり方
(先に落ちがばれないように、意外な所から落とすのがいい)
など、色々な方法がある。
ざこばがどうしても落ちを思いつかず、泣きながら謝る回や、
(自分がやることを想像するだけでその気持ちは分かる)
「床ズレ」という難しいお題を最後まで上手く結びつけられずラスト付近まで
残し続けた鶴瓶が、最後の最後に「男連れ」に読み替えて落ちにした、
大逆転回もあった。
毎週毎週、我々はこのように、
呼吸するようにお話を創作すべきである。
年間56本つくるべきである。
そうしないと、ストーリーづくりそのものを自分のものにできない。
我々はストーリーづくりに慣れたプロにならなければならない。
どんな困難な事態でも、あたふた慌てることなく、
まあこういうときは2、3個解決策があるものですよ、たとえば、
と泰然自若としていられなければならない。
やりちんは呼吸するように女を口説く。
ディオは呼吸するように人間を食らう。
女は呼吸するように嘘をつく。
ストーリーテラーは、呼吸するように話をつくる。
その中で出来のいいものを、映画化すればいいだけだ。
「てんぐ探偵」のストックは55話まである。
(調子のいいときは、1日4話分プロットが出来た日もあった)
没ったCMのストーリーや映画のプロットは、
ロッカー三段分ある。
世間に発表するのは、その氷山の一角に過ぎない。
毎日毎週三題噺をつくろう。A4のペラ一枚でいいんだから。
力がつくよ。
2014年12月08日
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