2014年12月11日

思えば、叶う

引き寄せの法則とか、ナポレオンヒルとかではない。

初級者は書くことで一杯一杯かも知れないが、
中級者ともなれば、
書いたものを俯瞰することが出来るようになる。

そのとき、思うのだ。
ここもうちょっとこうした方がいいんじゃないか、と。


それは、書いてる途中だろうが、
書き終えてからだろうが、
ワンシーン書いてみて想像と違った時だろうが、
いつでも構わない。

あなたが観客として、その話を見ていて思うことは、
完成したあとにも観客が思うことだ。

ここもうちょっと驚きがあったら良かった、とか、
ここもうちょっと笑いたかった、とか、
ここバレバレだろ、とか、
ここダラダラしてる、とか、
相手のリアクションが見えてこない、とか、
ここもっとじっくり見たいのに、とか、
停滞が長い、とか。

具体的な解決策は置いといて、
あなたは観客として、そう思うだけでよい。

それは、作者としてここもう少しこう書きたい、
という感情とは、全く別に発生しなければならない。

つまり、あなたが中級者になったかどうかは、
とりあえず完成した原稿を見て、
ここもうちょっとこうしたい、という作者としての目線と、
ここもうちょっとこうだったらいいのに、
という観客としての目線の、
両方が機能するかどうかである。


観客として思うことのほうが重要だ。

なんかここガツンと欲しいとか、
ここハラハラしたいとか、
ここ泣きたいとか、
ここほっこりしたいとか、
感情的な言葉でいい。

ただ焼いた肉に、好みで塩コショウを振って調味することに似ている。

とにかく思うことだ。
(忘れないように、赤字を入れておこう。
僕は脚本の上のスペースに丸で囲って書き込むことが多い。
音楽でアダージョとかクレシェンドとか楽譜に書き込むような感じ)


「これはとても素晴らしい、
誰も書いたものがない傑作である」
と観客としてのあなたが思うまで、
その感情の指針に合わせて書き直していこう。

もっと起伏が欲しい、
名作の○○(映画、漫画、小説などなど)はこうだった、
もっとテンポよく、
もっと分かりやすく、
もっと解説を、
もっとじっくりと、
これあれのパクリに見えるぞ、
もっと、もっと、もっと。


あなたこそが最も贅沢な要求をする観客であるべきだ。
予算のことや、諸事情なんて考えない、
今出されたものがいいかどうかを判断する、
普通の人であるべきだ。

その観客の不満を聞こう。
作者としてのあなたが、その不満を解消するように、
アイデアを捻り出したり、取材し直したり、
ちょっと直したり、構成ごと書き直したりするだろう。

その過程で、第一稿では思いもしなかった、
いいものができて行く。


初級者と中級者の差は、ここだろう。

自分の原稿を見て、
何を思うかだ。

それは、客観的になるということに近い。
色々なことに目をつぶったり、
自分の原稿を可愛いものと思わないことだ。
作者としてのこだわりと、観客としての贅沢を、
両方自覚出来るかだ。

より良いものをつくるために、
色々なことを思おう。


思えば、叶う。
思わなければ、たいしたことのない第一稿のままである。
posted by おおおかとしひこ at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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