引き寄せの法則とか、ナポレオンヒルとかではない。
初級者は書くことで一杯一杯かも知れないが、
中級者ともなれば、
書いたものを俯瞰することが出来るようになる。
そのとき、思うのだ。
ここもうちょっとこうした方がいいんじゃないか、と。
それは、書いてる途中だろうが、
書き終えてからだろうが、
ワンシーン書いてみて想像と違った時だろうが、
いつでも構わない。
あなたが観客として、その話を見ていて思うことは、
完成したあとにも観客が思うことだ。
ここもうちょっと驚きがあったら良かった、とか、
ここもうちょっと笑いたかった、とか、
ここバレバレだろ、とか、
ここダラダラしてる、とか、
相手のリアクションが見えてこない、とか、
ここもっとじっくり見たいのに、とか、
停滞が長い、とか。
具体的な解決策は置いといて、
あなたは観客として、そう思うだけでよい。
それは、作者としてここもう少しこう書きたい、
という感情とは、全く別に発生しなければならない。
つまり、あなたが中級者になったかどうかは、
とりあえず完成した原稿を見て、
ここもうちょっとこうしたい、という作者としての目線と、
ここもうちょっとこうだったらいいのに、
という観客としての目線の、
両方が機能するかどうかである。
観客として思うことのほうが重要だ。
なんかここガツンと欲しいとか、
ここハラハラしたいとか、
ここ泣きたいとか、
ここほっこりしたいとか、
感情的な言葉でいい。
ただ焼いた肉に、好みで塩コショウを振って調味することに似ている。
とにかく思うことだ。
(忘れないように、赤字を入れておこう。
僕は脚本の上のスペースに丸で囲って書き込むことが多い。
音楽でアダージョとかクレシェンドとか楽譜に書き込むような感じ)
「これはとても素晴らしい、
誰も書いたものがない傑作である」
と観客としてのあなたが思うまで、
その感情の指針に合わせて書き直していこう。
もっと起伏が欲しい、
名作の○○(映画、漫画、小説などなど)はこうだった、
もっとテンポよく、
もっと分かりやすく、
もっと解説を、
もっとじっくりと、
これあれのパクリに見えるぞ、
もっと、もっと、もっと。
あなたこそが最も贅沢な要求をする観客であるべきだ。
予算のことや、諸事情なんて考えない、
今出されたものがいいかどうかを判断する、
普通の人であるべきだ。
その観客の不満を聞こう。
作者としてのあなたが、その不満を解消するように、
アイデアを捻り出したり、取材し直したり、
ちょっと直したり、構成ごと書き直したりするだろう。
その過程で、第一稿では思いもしなかった、
いいものができて行く。
初級者と中級者の差は、ここだろう。
自分の原稿を見て、
何を思うかだ。
それは、客観的になるということに近い。
色々なことに目をつぶったり、
自分の原稿を可愛いものと思わないことだ。
作者としてのこだわりと、観客としての贅沢を、
両方自覚出来るかだ。
より良いものをつくるために、
色々なことを思おう。
思えば、叶う。
思わなければ、たいしたことのない第一稿のままである。
2014年12月11日
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