2014年12月17日

加速していく2

リズムの加速の話、続き。

話の加速感は、セックスに似ている。


快感が全てセックスに直結するかどうかは置いといて、
テンポによる快感は、セックスを意識するとよい。
今のところ人類最高でかつ健全な快感は、
薬物を使わない限りセックスである。
(それよりも凄い快感パターンがあるのなら、
そのリズムは参考になるだろう。
60年代から70年代のサイケデリックブームは、
LSDの快感曲線をベースにしたものだ。
薬物と芸術は切っても切れないが、
社会復帰しなくていいかどうかの決断が必要だ)

例えばコース料理の組み立て、
例えば伝統芸能の組み立て、
例えば音楽の組み立て、
例えばオペラの組み立て、
これらの加速するリズムは、セックスに似ている。
つまり、探り→前戯→ピストン→絶頂→後戯だ。


以下、男向けの話。

セックスの上手さと文章の上手さは、
概ね比例する。
どちらも思い通りに出来る、経験を積んでの話だが。

スローペースで徐々に引きずり込んで火をつけて、
テンポをだんだん速くして盛り上げ(変拍子をつけたり)、
最後は怒濤のテンポで頂点をかけ上がる。

この加速感は、男主導のセックスである。
これが一方的だと、女すなわち観客は気持ちよくない。

お話とは、相手のいないセックスだ。
不特定多数の観客が見えないままのエアセックスだ。
だから一方的なテンポになりがちだ。
女がどうかの様子を見ながら出来ないからだ。

テンポのうまい人は、自分が女になる。
女の立場から自分のセックスをチェック出来る。
テンポのうまい人とは、
男として夢中になり、女としても夢中になれる者のことだ。
(ゲイの作家が上手なのも、女として見れるからだ。
ただ、女寄りになりすぎて男の目線で見れないことも時にある)


では女の作家はどうか?
実はスローテンポのねちっこさが、
男のリズムと違ったりするのだ。
レズビアンのセックスのような、
終わらない波のようなリズムが女の生理らしい。
重要なことは、
女は男に合わせられる柔軟性を持つが、
男は女に合わせてリズムを調整しづらいことだ。

女流作家はいるものの、女流監督の少なさは、
女性主導のリズムが、男の観客のリズムに合いづらいからだと僕は思っている。

男の様子を見ながら生理的リズムをコントロール出来る、
女性の達人が現れればまた別かも知れない。
小説や漫画では、リズムという時間軸が厳密になく、
読み手がリズムをコントロール出来るから、
この問題はばれていないと思う。

オペラや作曲家など、リズムを他に持つ芸術で、
女流作家はどれくらいいるのかは分からない。
バンドのリズムセクションが女であることも、
まずないだろうなあ。



伝統的に、お話のリズムの加速感は、
男主導のセックスに似ている。
意識してみるとよいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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