2014年12月13日

ログラインが書けるか

なんか今日はログライン関係のアクセスが増えてるので、
ログラインについて書いてみる。

ログラインといえばカッコイイが、
実のところは一行(日本語では数行)のあらすじに過ぎない。
なんだあらすじか、とガッカリしたほうがよい。
ハリウッドの魔法でもなんでもなく、
ハリウッドでさえも、物語ではあらすじを書くのだ、
ということに過ぎないのだ。

さて、ログラインやあらすじを収集して、
映画本体との関係を探ることはとても勉強になる。
しかしそれ以上勉強になるのは、
自分で書いてみることだ。


面白い映画を見たら、
そのログラインを必ず書き留めることを勧める。
毎週一本、一年で50本新作を見れば、
50本のログラインがたまるだろう。
(外れもあるから、実質20本ぐらいかなあ)
他にも名作マラソンをすれば、当たりの率は上がるから、
ログラインを書いてみる練習に持ってこいだ。

ログラインに決まりはない。
二三行と言っても、一行何文字という訳でもない。
字数制限も、書き方の決まりもない。
そのストーリーを本質的に表したもので、
短く的確な要約がなされたもの、
以外に定義はない。

つまり、ログラインを書く練習とは、
そのストーリーの本質は何か、を考える練習になるのだ。

言葉による表現だから、
一意の正解はない。
これは数学ではない。
どう考えるか、という問題だ。

しかし、これを落としたらダメだろ、という部分や、
これは省略できるだろ、という部分はある。
そして何故それを省略できないか、
何故それを省略できるかという根拠は、
テーマに必要だから、必要じゃないから、
というところに集約されてくる。
つまり、ログラインを考えることとは、
この映画の本質的ストーリーとは何か考えることであり、
この映画のテーマとは何かを考えることなのだ。

作者が最も正しいログラインが書ける保証もない。
100%分かっているが故に、
本質を逆に見極められないことだってある。


ログラインを書く練習とは、
映画の本質的ストーリーとは何か、
考え、書くトレーニングである。

考えるだけでは駄目で、書くことが大事だ。
書けないと意味がない。
あなたはテレビで発言する評論家ではなく、
脚本家という書くことを生業とする職業につくのである。
書けなければ意味がない。
(逆に言うのは苦手でも構わない)

それは、いずれ自作に生きてくる。
今書いている自作のログラインは何だか、
書いてみるとよい。

それは、自作の本質は何かを正しくとらえることであり、
即ち客観性を得ることである。

(経験的に、書いている最中にログラインは微妙に変わって行く。
いくつかのバージョンのログラインのうち、
最も面白いログラインのバージョンに、
最終的にストーリーは書かれるのが理想だ。
具体的には、脚本添削スペシャルでやってみた例がある)
posted by おおおかとしひこ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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