なんか今日はログライン関係のアクセスが増えてるので、
ログラインについて書いてみる。
ログラインといえばカッコイイが、
実のところは一行(日本語では数行)のあらすじに過ぎない。
なんだあらすじか、とガッカリしたほうがよい。
ハリウッドの魔法でもなんでもなく、
ハリウッドでさえも、物語ではあらすじを書くのだ、
ということに過ぎないのだ。
さて、ログラインやあらすじを収集して、
映画本体との関係を探ることはとても勉強になる。
しかしそれ以上勉強になるのは、
自分で書いてみることだ。
面白い映画を見たら、
そのログラインを必ず書き留めることを勧める。
毎週一本、一年で50本新作を見れば、
50本のログラインがたまるだろう。
(外れもあるから、実質20本ぐらいかなあ)
他にも名作マラソンをすれば、当たりの率は上がるから、
ログラインを書いてみる練習に持ってこいだ。
ログラインに決まりはない。
二三行と言っても、一行何文字という訳でもない。
字数制限も、書き方の決まりもない。
そのストーリーを本質的に表したもので、
短く的確な要約がなされたもの、
以外に定義はない。
つまり、ログラインを書く練習とは、
そのストーリーの本質は何か、を考える練習になるのだ。
言葉による表現だから、
一意の正解はない。
これは数学ではない。
どう考えるか、という問題だ。
しかし、これを落としたらダメだろ、という部分や、
これは省略できるだろ、という部分はある。
そして何故それを省略できないか、
何故それを省略できるかという根拠は、
テーマに必要だから、必要じゃないから、
というところに集約されてくる。
つまり、ログラインを考えることとは、
この映画の本質的ストーリーとは何か考えることであり、
この映画のテーマとは何かを考えることなのだ。
作者が最も正しいログラインが書ける保証もない。
100%分かっているが故に、
本質を逆に見極められないことだってある。
ログラインを書く練習とは、
映画の本質的ストーリーとは何か、
考え、書くトレーニングである。
考えるだけでは駄目で、書くことが大事だ。
書けないと意味がない。
あなたはテレビで発言する評論家ではなく、
脚本家という書くことを生業とする職業につくのである。
書けなければ意味がない。
(逆に言うのは苦手でも構わない)
それは、いずれ自作に生きてくる。
今書いている自作のログラインは何だか、
書いてみるとよい。
それは、自作の本質は何かを正しくとらえることであり、
即ち客観性を得ることである。
(経験的に、書いている最中にログラインは微妙に変わって行く。
いくつかのバージョンのログラインのうち、
最も面白いログラインのバージョンに、
最終的にストーリーは書かれるのが理想だ。
具体的には、脚本添削スペシャルでやってみた例がある)
2014年12月13日
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