2014年12月14日

ストーリーとは、人生の体験である

3D映像は、立体的な迫力の体験だ。
手持ち映像などのドキュメントスタイルは、
リアルっぽい体験だ。
(わざと得られる情報が少ないのもリアルさに一役買う。
最初の例は「ブラックホークダウン」かなあ)
ホラーや恐怖系は、恐さの体験だ。
戦争ものやアクションは、殺し合いの体験だ。
恋愛ものは、美男美女のウットリの体験だ。
CGものは、異世界の体験だ。

ではそれらの刺激要素を除いた、
ストーリーそのものは何の体験なのだろう。
僕は、人生の(一断面の)体験ではないかと思う。


人生とは何か、
あなたは答えられるだろうか。

これは作家にとって永遠の課題だ。
あなたなりの答えは、人生を通して用意しなければならない。

少なくとも新作を書くときは、
この作品は人生のどんな一断面を描き、
かつ人生の中でのどんな瞬間を描こうとしたのか、
考えなければならないし、
その作品の中での、人生とはこういうものだ、
は、考えられていなければならない。

人生を描くことには、
二つの要素が少なくとも必要だと思う。

ひとつ目は、危険だ。
自分の人生がまるごと危険に晒されることである。

自分の肉体全部、存在そのもの、社会的立場、
帰るべき場所、基盤、そんなものが、
失われかねないことが起こることである。
会社が潰れる、お家断絶、命からがら、家賃が払えない、
フラレるのを覚悟で、クラスでのカースト、難病、裁判沙汰、
あるいは、命を賭けた冒険、決闘など、
具体を思い浮かべるとよいだろう。

二つ目は、変化だ。
問題の解決の結果、周囲の環境も、
自分自身の変化も起こることだ。

教訓を得て人は変わる、
こっぴどい目にあって二度と○○しないようにする、
二度と手に入らないものを失う、または得る、
死ぬ、滅亡、革命、誕生、
少し変わった気がする、
少し風通しがよくなった、
明日も頑張ろうと思えた、
などなどが具体例だ。


これらを描くことがモチーフであり、
それが一体何を意味しているのかがテーマだ。

そのテーマぐらいは考えておこう。
それは人生と関係あるものになるはずだ。

何も難解な文学をひねり出す必要はない。
難解だから偉い訳ではない。
正義は勝ち、悪は栄えないだって立派なテーマだ。
(ポピュラーな分逆に難しい)
ちょっとしたことでいい。
テーマそのものの凄さよりも、
話の面白さや深さのほうが優先だ。
何てことないテーマでだって、
面白く深い話は書けるのだ。
(短編シナリオ2の、ビール会社のドラマ型CMの一連の例を見よ)


あなたは、膨大な人生というテーマから、
どんな小さな一断面を切り取るのか。
それを、どう面白おかしい話に仕立てあげるのか。

人生のことを何も考えていない話などない。
あるけど、それはエンタメという、
明日には忘れてしまっている駄作である。

名作は、明日にも残り、数日後にも数年後にも残るものを言う。
それは、刺激的体験のあるかないかとは、
あまり関係がない。
人生という体験がそこで出来たかどうかと、
関係していると思う。


人生は難しい。だから話を書くことは難しい。
難しいテーマを選ばないのがコツだ。
よくあるテーマや軽いテーマで、
お話を書くことに慣れ、多作することが大事だ。
易から難へ進むべきである。

アドバイス出来ることがあるとすると、
十年前ぐらいに悩んでたことを題材にするといい。
それはもはや解決していることが多くて、
解決法が分かっていることが多くて、
なおかつリアルな悩みとして記憶しているからだ。
あなたの人生からしか、あなたの書く話は生まれない。
posted by おおおかとしひこ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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