3D映像は、立体的な迫力の体験だ。
手持ち映像などのドキュメントスタイルは、
リアルっぽい体験だ。
(わざと得られる情報が少ないのもリアルさに一役買う。
最初の例は「ブラックホークダウン」かなあ)
ホラーや恐怖系は、恐さの体験だ。
戦争ものやアクションは、殺し合いの体験だ。
恋愛ものは、美男美女のウットリの体験だ。
CGものは、異世界の体験だ。
ではそれらの刺激要素を除いた、
ストーリーそのものは何の体験なのだろう。
僕は、人生の(一断面の)体験ではないかと思う。
人生とは何か、
あなたは答えられるだろうか。
これは作家にとって永遠の課題だ。
あなたなりの答えは、人生を通して用意しなければならない。
少なくとも新作を書くときは、
この作品は人生のどんな一断面を描き、
かつ人生の中でのどんな瞬間を描こうとしたのか、
考えなければならないし、
その作品の中での、人生とはこういうものだ、
は、考えられていなければならない。
人生を描くことには、
二つの要素が少なくとも必要だと思う。
ひとつ目は、危険だ。
自分の人生がまるごと危険に晒されることである。
自分の肉体全部、存在そのもの、社会的立場、
帰るべき場所、基盤、そんなものが、
失われかねないことが起こることである。
会社が潰れる、お家断絶、命からがら、家賃が払えない、
フラレるのを覚悟で、クラスでのカースト、難病、裁判沙汰、
あるいは、命を賭けた冒険、決闘など、
具体を思い浮かべるとよいだろう。
二つ目は、変化だ。
問題の解決の結果、周囲の環境も、
自分自身の変化も起こることだ。
教訓を得て人は変わる、
こっぴどい目にあって二度と○○しないようにする、
二度と手に入らないものを失う、または得る、
死ぬ、滅亡、革命、誕生、
少し変わった気がする、
少し風通しがよくなった、
明日も頑張ろうと思えた、
などなどが具体例だ。
これらを描くことがモチーフであり、
それが一体何を意味しているのかがテーマだ。
そのテーマぐらいは考えておこう。
それは人生と関係あるものになるはずだ。
何も難解な文学をひねり出す必要はない。
難解だから偉い訳ではない。
正義は勝ち、悪は栄えないだって立派なテーマだ。
(ポピュラーな分逆に難しい)
ちょっとしたことでいい。
テーマそのものの凄さよりも、
話の面白さや深さのほうが優先だ。
何てことないテーマでだって、
面白く深い話は書けるのだ。
(短編シナリオ2の、ビール会社のドラマ型CMの一連の例を見よ)
あなたは、膨大な人生というテーマから、
どんな小さな一断面を切り取るのか。
それを、どう面白おかしい話に仕立てあげるのか。
人生のことを何も考えていない話などない。
あるけど、それはエンタメという、
明日には忘れてしまっている駄作である。
名作は、明日にも残り、数日後にも数年後にも残るものを言う。
それは、刺激的体験のあるかないかとは、
あまり関係がない。
人生という体験がそこで出来たかどうかと、
関係していると思う。
人生は難しい。だから話を書くことは難しい。
難しいテーマを選ばないのがコツだ。
よくあるテーマや軽いテーマで、
お話を書くことに慣れ、多作することが大事だ。
易から難へ進むべきである。
アドバイス出来ることがあるとすると、
十年前ぐらいに悩んでたことを題材にするといい。
それはもはや解決していることが多くて、
解決法が分かっていることが多くて、
なおかつリアルな悩みとして記憶しているからだ。
あなたの人生からしか、あなたの書く話は生まれない。
2014年12月14日
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