2014年12月15日

自然な台本の書き方

不自然な台本は役に立たない。

自然なアドリブの出来る役者、芸能人、
キャスターなどの百戦錬磨の人に持っていかれてしまうだろう。

あなたはそれよりも自然な台本を書くのが仕事だ。


どうすればそれが書けるかは、修行するしかない。

修行というのはつまり、
あるものを書いて、
実際に演じてみて不自然なところを自覚し、
リアルだったらどうかを考え、取材し、
文字おこししたりして音と文字の関係をつかみ、
また書いて、
以下繰り返し、
を無限にやることだ。

僕は手書きでこれをやることを推奨している。
書きやすい鉛筆や万年筆や柔らかいボールペンがいい。
文字うちはどうしても変換という過程で音や概念と遠くなるし、
手が覚えることは、創作の基本だからだ。
絵描きが手癖でスラスラと描けたり、
書家が手癖でスラスラと書けたり、
彫刻家が手癖でスラスラと掘れるように、
文筆家は手癖で文章を書けるべきだ。
(手癖で変換まで含むかどうか。僕は文字うちは「手で考える」ことが出来ないと思う。
文字うちで文章を書く人は、手で考えることの出来ない、
芸術家としてはレベルの低い不器用な人間だ)


とにかく手で、リアルを覚えて再現できるようにする。
出来るようになるまで練習する。
これしかない。
根性論だ。
学習とは根性でしか身につかない。
理解する程度なら頭でなんとかなるが、
使って、応用して、新たにつくるには、
身につくまで繰り返すしか、方法はない。
(どんな勉強でもそれは同じだ。
受験でもスポーツでも、繰り返したやつしか身につかない。
説得力をつけるなら、この言い方はいやらしいが、僕は京大卒だ。
多少効率化することは出来るが、学習とは神経細胞を生まれ変わらせる刺激を与え続けるしかない)



声に出して読もう。
台本は目で読むものではなく、音の原稿である。

ちゃんと抑揚をつけて読もう。
台本は棒読みではなく、感情の起伏や間を入れて読むものだ。

その人の気持ちで読もう。
その人がどんな過去があって、どんな気持ちになって、
今どんなつもりでその言葉を言うのか、リアルに読もう。

演じながら読もう。
実際に立ったり座ったりしながら読もう。
台本は棒立ちで読むのではなく、動きの中で読まれるものである。

全ての登場人物の気持ちで読もう。
その人の視点から読むのを、登場人物全員の数分やろう。
台本は全員の出演するものだ。
ある人が喋っているとき、他の人の気持ちや考えは。



これらがリアルに感じられないのなら、
台本が悪い。

演者が下手なのではない。
どんな朴訥な人でも、真実の言葉ならそれは伝わる。
あなたは朴訥でも、真実の言葉をちゃんと書いているか。
それが自然ということだ。


人間は馬鹿じゃない。ごまかしはバレる。
粉飾は見抜かれる。

あなたが本気でその現場をリアルに想像出来たとき、
台本は自然になる。

ならないのは、想像力が足りないか、
想像を書き留める手が下手かのどちらかだ。


演技が自然な人を観察しよう。
演技とは、なりきりごっこの究極型だ。
その人は才能だけでなく、
これまで気の遠くなるような、なりきりの為の練習を積んだから出来るのだ。
同じ台詞や場面でも、一番自然ななりきりを研究した結果そこにいるのだ。
あなたは、そのなりきるものを、書くのである。
あなたがなりきれてなくて、彼がなりきれる筈がない。
脚本家と演者は、なりきりにおいて同じなのだ。
脚本家が文字で書き、演者は肉体を使うことしか、違いはない。
posted by おおおかとしひこ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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