演技論の話、続けます。
プロは笑顔の練習を鏡の前でしている。
それは、鏡を見なくても笑顔をつくるためだ。
逆に言うと、楽しくなくても、笑顔はつくれる。
本心と違うことをするのを、演技と言う。
プロの笑顔の作り方は、こうだ。
まず最高の自分の笑顔を知る。
鏡の前で最高の思い出を思い出して笑顔になってもいいし、
プライベートで撮った写真と鏡を見比べてもいい。
自分の無意識の笑顔を、意識的に再現出来るようにするのだ。
最初は楽しさを思い出して、
その生理的反応で笑顔になる練習をする。
慣れてくると、顔面筋のどこにどう力を入れるとどういう顔になるかが分かってくる。
そうすれば、コントロール出来るようになる。
最終的には、心が別のことを思っていても、
最高の笑顔と寸分違わず同じものをつくれるようにする。
これが営業スマイルだ。
下手な人は営業スマイルとばれてしまう。
これは本心からの笑顔でなく、偽の笑顔であると。
上手な人は営業スマイルであるとばれない。
この人は本当に楽しそうに笑うなあ、と思われるだけだ。
だからプロの笑顔は、本心から笑ってるのか、作っているのか分からない。
分からないからプロなのである。
バレるようなら、演技が下手な二流である。
さて、一流の営業スマイルは、本心からの笑顔と区別がつかない。
例えばアイドルや女優の笑顔は、
毎回きちんと同じ角度に口角をあげ、
同じように瞳孔を開けることができる。
(鶴瓶はこれが下手なので、いつも目が笑っていないと言われた)
酒井法子が麻薬でつかまって、警察署から釈放されてマスコミの前で一礼するときの、
見事な完成された笑顔を僕は忘れない。
プロの技術というのは、分かっていても心奪われるものだ。
プロは計算なのだ。
計算なのに計算と気づかれず、それどころか心も奪うのである。
あなたのお話は、どうだろう。
そうなっていないのなら、素人の演技を盗み撮りするように、
偶然待ちをして、その殆どの時間を無駄にするしかないだろう。
自然な演技を作っていくための、メソッド演技論は、
自分を盗み撮りしながら、
自分のなかにそういう類いの営業スマイルを構築していくやり方だ。
典型的な大げさな演技の否定、
つまりバレバレの営業スマイルにならないためにはどうすればいいか、
という方法論だ。
演技をする人を見るのではなく、本能のままに生きる自分を観察して、
そのときの自分を真似るのだ。
(自分自身が一番確かだが、他の人の本能的反応を観察することも、
演技の研究である。例えば人の死に立ち会う人がどういう反応をするかは、
自分が経験していないなら、他人のそのような反応を演技者なら無意識に観察する筈である)
メソッド演技が徹底できていない下手な役者は、
二度同じ事が出来ない。
自分のなかに気分をつくって、それをリアルに演じるためだ。
二度同じ気分になれないのだ。
それは盗み撮り待ちと同じである。一回だけは出来る、盗み撮りだ。
メソッド演技がきちんと出来ていれば、
毎回同じ演技が出来る筈である。だって研究済みの筈だから。
あなたの話は、そのように演技される台詞や反応や行動が、
書かれていなければならないのは当然だ。
技術が凄いのではない。
その技術で、何を目指して何をなしえたかが、凄いのだ。
2014年12月19日
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