2014年12月21日

構成は必要条件

なんだかんだ言って、構成が全てだ。
実際の執筆部、台詞の良さや展開や焦点の保ち方、
つまり表面上の面白さが出来るという条件なら、
構成が全てだ。

しかも、構成の良さは、名作の必要条件であるが、
十分条件ではない。
つまり、構成が出来ていたとしても名作とは限らないが、
構成の出来ていない名作はない。


あらためて、構成とは何かを見ていこう。

まずは三幕構成だ。
話には、序盤、中盤、終盤があり、
その比が1:2:1になっていることだ。

序盤では背景設定、事件、主人公への感情移入の最初などが必要。
最初の大きなターニングポイント、
第一ターニングポイントで次へ。

中盤では色々なことが展開する、自由に書いていいところだ。
ミッドポイント(かりそめの勝利または敗北)があることもある。
基本的にここがお話の面白い部分のほとんどを担う。
二番目に大きなターニングポイント、
第二ターニングポイントで次へ。

終盤はクライマックスだ。
決着がついて、最初の事件や途中の問題は、
全て鮮やかに解決する。

こうなっていない話は大抵面白くない、
というのが三幕構成理論である。


これは時間に関する構成だが、空間に関する構成もある。
人物の配置が、最終的にテーマを示すべき構造になっているべき、
ということだ。

例えば悪役が象徴する意味(悪、わがまま、守銭奴、誘惑など)
が主人公の打ち払うべきテーマになっている、とか、
主人公の帰る場所こそがテーマを意味している、とか、
主人公の内的問題(内気、問題のある性格など)の克服こそがテーマになっている、とかだ。

人物の配置では、欧米の方がパターン的だ。
メンター、シャドウ、トリックスター、ヘラルド、コメディリリーフなど、
アーキタイプで話の構造をつくるやり方がとても多い。

逆に日本人はこれに馴染みがないから、
人物の配置で構成するということが出来ない。
学園ものの人物配置、例えば主人公、友達、ヒロイン、ライバル、
なんてごく決まったパターンしか持っていない。
アーキタイプによる人物配置は、
見た目が変わっても同じ構造になるから、
見た目を変えるだけで別の話に見える利点がある。
学園ものと刑事物とSFが人物配置的に同じ構造を持つことが、あり得る。

人物配置は、あらすじを書いてみると掴みやすい。
人物の名前ではなく、ストーリー上の役割で役名を言うと掴みやすい。
例えば署長とか母親とか医者とか、社会的役割で言うと掴みやすい。
こういうものは、短編を沢山書く経験で積める。


ストーリーの三幕構成だけでなく、
このような人物配置も含めて、構成という言葉が使われている気がする。
世界の構造と、時間の構造という意味で。

時間の構造では、
カットバックなどの複数プロットの同時進行や、
伏線やどんでん返しや、
ループや逆戻りやタイムトラベルなど、
時間の構成にダイナミズムを盛り込むことがあるが、
特に必要な訳ではなく、小技や味付け程度と思うといいだろう。


このようなものが必要条件だ。
最低限出来ていないものは、大体詰まらない。
面白いものは大抵出来ている。
そして、これだけ出来ているだけでも駄目で、
これらはスタートラインに過ぎない。
この先の、テーマや、感動や、爆笑や、キャラの個性や、
台詞のやり取りや、芝居の面白さが、名作を決める。
これらは構成という基盤に咲く花なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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