これは前提として知っておくべきである。
世界に一番広まっている書、聖書ですらも、
世界の人全員を幸せにしていない。
ハリーポッターは沢山の人を幸せにしたかも知れないが、
僕みたいに映画一作目で脱落した人もいる。
ディズニーは沢山の人を幸せにしたかも知れないが、
僕はいつも胡散臭さを脱臭しながら見ている。
最大多数の最大幸福の原則は、
最大派閥に属さない人々を切り捨てることである。
物語は、そうであることを覚悟したほうがいい。
勿論、より多くの人を幸せに出来ることは大事なことだが、
人を幸せにすることは、誰かを不幸にすることかも知れない。
あることを主張することは、
誰かにそうではないと言われることだ。
影響する範囲が多ければ多いほど、
そうではないと言う人は出てくるものだ。
修学旅行の人数がいれば、
必ず誰かが名前の書いていないパンツを忘れるのである。
全員が同じではないのである。
(日本の教育は全員を均一にすることではあるが)
最近のCMは、何も主張していない。
主張しないけど買ってね、って訳のわからないことを言っている。
だから詰まらない。
面白い、とは、反発を覚悟で斬り込むことだ。
死ぬことを覚悟で斬り込むことだ。
失敗したら死ねばいいし、本当に死ぬことはないから、
またトライすればいい。
そういう覚悟が企業にないから、
面白いCMは今後生まれてくることはなく、
テレビもそうなっていくだろう。
テレビはいつのまにか、
主張をやめて、斜陽になってしまった。
あなたが物語を書くことは、
何かを主張することだ。
強い主張のときもあるし、
主張するつもりがなかったこともあるだろう。
しかし、命が世に出るということは、
それだけで主張なのだ。
それがこの世に存在する意味の、主張なのだ。
だから必ず反発がある。
その反発を受けても、その主張に価値があれば、
その価値を守りたい人が、反発を退けてくれるだろう。
今価値が内容でなく、稼ぐかどうかの合理になっているのが残念だが。
もしあなたが作品を書き終えて、
それにどんな主張があるか、
客観的にとらえることが出来るだろうか。
なかなかそこまで離れて見ることは難しいだろう。
自分の主張が世の中でどんな価値があるかなんて、
なかなか引いた目で見ることは難しい。
書き終えたばかりの興奮が、
その目を歪ませるからだ。
全員を幸せにすることは出来ないが、
ではどんな人を幸せにすることが出来るかは、
分かっておくべきである。
その人が多くなるように、
あるいはその人たちにより深く届くように、
脚本はリライトされて行くべきだ。
ある種の深みを持っていれば、
より多くの人をその深淵に誘うように間口を広げることは可能だ。
深くないならまず深くするリライトをするべきだ。
(そもそもあなたが深い人物でないなら、
それも出来ないのだが)
あなたの話は、どんな人をどれくらい幸せにする?
その確信と評価を常に持っておこう。
それはつもりではなく、事実としてだ。
2014年12月22日
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