2014年12月22日

全員を幸せにすることは出来ない

これは前提として知っておくべきである。

世界に一番広まっている書、聖書ですらも、
世界の人全員を幸せにしていない。
ハリーポッターは沢山の人を幸せにしたかも知れないが、
僕みたいに映画一作目で脱落した人もいる。
ディズニーは沢山の人を幸せにしたかも知れないが、
僕はいつも胡散臭さを脱臭しながら見ている。

最大多数の最大幸福の原則は、
最大派閥に属さない人々を切り捨てることである。

物語は、そうであることを覚悟したほうがいい。


勿論、より多くの人を幸せに出来ることは大事なことだが、
人を幸せにすることは、誰かを不幸にすることかも知れない。

あることを主張することは、
誰かにそうではないと言われることだ。
影響する範囲が多ければ多いほど、
そうではないと言う人は出てくるものだ。

修学旅行の人数がいれば、
必ず誰かが名前の書いていないパンツを忘れるのである。
全員が同じではないのである。
(日本の教育は全員を均一にすることではあるが)


最近のCMは、何も主張していない。
主張しないけど買ってね、って訳のわからないことを言っている。
だから詰まらない。
面白い、とは、反発を覚悟で斬り込むことだ。
死ぬことを覚悟で斬り込むことだ。
失敗したら死ねばいいし、本当に死ぬことはないから、
またトライすればいい。
そういう覚悟が企業にないから、
面白いCMは今後生まれてくることはなく、
テレビもそうなっていくだろう。
テレビはいつのまにか、
主張をやめて、斜陽になってしまった。


あなたが物語を書くことは、
何かを主張することだ。
強い主張のときもあるし、
主張するつもりがなかったこともあるだろう。
しかし、命が世に出るということは、
それだけで主張なのだ。
それがこの世に存在する意味の、主張なのだ。

だから必ず反発がある。
その反発を受けても、その主張に価値があれば、
その価値を守りたい人が、反発を退けてくれるだろう。
今価値が内容でなく、稼ぐかどうかの合理になっているのが残念だが。


もしあなたが作品を書き終えて、
それにどんな主張があるか、
客観的にとらえることが出来るだろうか。
なかなかそこまで離れて見ることは難しいだろう。
自分の主張が世の中でどんな価値があるかなんて、
なかなか引いた目で見ることは難しい。
書き終えたばかりの興奮が、
その目を歪ませるからだ。

全員を幸せにすることは出来ないが、
ではどんな人を幸せにすることが出来るかは、
分かっておくべきである。
その人が多くなるように、
あるいはその人たちにより深く届くように、
脚本はリライトされて行くべきだ。

ある種の深みを持っていれば、
より多くの人をその深淵に誘うように間口を広げることは可能だ。
深くないならまず深くするリライトをするべきだ。
(そもそもあなたが深い人物でないなら、
それも出来ないのだが)


あなたの話は、どんな人をどれくらい幸せにする?
その確信と評価を常に持っておこう。
それはつもりではなく、事実としてだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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