脚本を書けるようになるには色々な技能が必要だが、
一番原始的なのは、
作り話の能力ではないかと思う。
言い訳がやたらうまい人がいる。
こないだあったことを、面白おかしく話せる人がいる。
そういう人は、脚本家、作家、劇作家、咄家に向いている。
それは、作り話をつくる能力だ。
作り話は、ほんとのことにどれだけ嘘をまぶすかだ。
基本嘘つきなのだ。
しかし嘘だけではバレバレなので、
本当らしいことも混ぜこむのである。
有名な作り話「高橋名人が逮捕された」では、
「16連射は麻薬を使っていて、麻薬の罪で捕まった」
という本当らしさが混じっていたから、
あっという間に広まった。
これにはバリエーションがいくつかあって、
「指とボタンの間にバネを仕込んでいたから詐欺罪で捕まった」
「子供の夢を壊した罪で捕まった」などがあるが、
もっともらしさという点では麻薬説が面白い。
つまり、作り話とは、もっともらしさを競う。
そして奇想天外な嘘っぷりをも競う。
授業中ヒマだからといって、
窓の外ばかりを見てた人が脚本家に向くかどうかで言うと、
僕は△だと思う。
妄想や想像力の広がりの能力はあるかも知れないが、
アウトプットが人を納得させる面白さがある保証はないからだ。
それぐらいなら、夏休みの宿題を忘れた言い訳を、
とっさにいくつも用意出来た子供のほうが、
作り話の才能があると思う。
作り話は、
身の回りに起きていることをベースに、
嘘を混ぜていくことだ。
二次創作も基本同じである。一次情報が違うだけである。
そのうち、身の回りの人やことから、
創作したキャラクターや場所に、
うつるだけのことだ。
昔、先輩がキャバクラに行くときは、
常に自分の職業を偽り、作り話をその場で始めた。
俺地下鉄の運転手、というのが傑作で、
君何線?と聞いて、例えば日比谷線と答えれば、
俺日比谷線運転したことあるわ、君も乗せたかもね、
と言って盛り上げるのである。
地下鉄までが嘘、日比谷線からがもっともらしさだ。
酒の席の遊びだが、このようにしてとっさに作り話をするくらい、
プロにとっては朝飯前でなければならない。
それはまた、受験とは違う、頭の回転が必要だろう。
(余談だが、これを元にしたのが、
正直に「俺の職業は殺し屋」と言ってもキャバクラ嬢に信じてもらえない、
「キラー・ジョー」というショートフィルムだ)
作り話をしろ。
新しい言い訳をせよ。
浮気の言い訳は、身近なクリエイティブである。
それは、嘘つきのトレーニングだ。
もっともらしさのトレーニングだ。
これがうまくないと、脚本も何もあったものではない。
最近「脚本」「書けない」で検索する人が多かったので書いてみた。
作り話が出来ないのに、おはなしがつくれる訳がない。
作家と犯罪者は同一である。
実際に犯罪をするかしないかの差しかない。
2014年12月22日
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