2014年12月23日

どんでん返しは話ではない

若手の脚本を読んでいると、
最後にどんでん返ししてどや顔をしているのばかりで辟易する。
どんでん返しを目的に話を書くと、
かなりの確率で失敗するという話。


どんでん返しは華である。
アクションシーンや凄いCGシーンに比べ、
ストーリーだけで出来るから、
低予算で凄い話をつくろうと思ったら、
どんでん返しものを書こうと思うのは分からなくもない。

しかし、どんでん返しを禁止して面白い話を書けるかが、
実は地力が出る。

どんでん返しのやり方を以前書いた。
Aだと思わせておいてBという構造において、
重要なことは、Aに注視させることである。
そもそもAが面白くないと、
どんでん返しは効果がない。
Bだったのかあー!と驚くには、
Aに夢中になっている度合いに比例すると言ってよい。
夢中になればなるほど、それをひっくり返されたときの衝撃が大きいのだ。

どんでん返し系の作品は、Aが上手い。
別の方向へ夢中にさせる、という意味でミスリードという。
しかしそれは作者目線であり、
観客目線ではそれに気づかれてはならないから、
ただのリードである。

つまり、リードする話が書けないのなら、
どんでん返しは効果がないのだ。


うちの若手の脚本を読んでいると、
どんでん返しに夢中になるあまり、
夢中にさせるべき最初のAが全然面白くない。

詰まらない話→どんでん返し、という構造になってしまっている。

これは他山の石として、教訓にしておくとよい。

最初にどんでん返すべき状況描写しかなく、
感情移入も事件も起こらず、
何かを解決しようとする動機も切迫もない、
取り返しのつかないことにもならない、
動きのない場面ばかりを描き、
ラストでそれが実はこうでした、
としかしないのだ。

つまり、ラスト以外全く面白くないのだ。

どんでん返しが目的になっているからだ。
どんでん返しに夢中になっているからだ。
Bに夢中なのではなく、
Aに夢中にさせなければならない。

落ちを先に言ってしまい、話を台無しにする人と大して変わらない。
落ちに夢中になるあまり、
それ以前に夢中になれないのである。

逆算しきれていないのだ。



どんでん返しを武器にしないほうがいい。
それは、初心者にとって、麻薬であり制御しきれないものだ。
まずは普通の起承転結で面白い話を書けるようになるべきだ。
それがきちんと出来るようになったら、
実はどんでん返しなんていらなくなる。
普通に面白い話をしていればいいからだ。

どんでん返しはスパイスである。
スパイスの配合の研究は結構だが、
それに注力するあまり、
ちゃんと肉と米を上手く食わせることから逃げていることが、
問題だ。
料理とは、スパイスではなく、旨い肉と米をつくることだ。
それが不味いとき、スパイスを振ってごまかすのである。

あなたは誤魔化し上手で一生を終えるつもりなら、
それでも構わないが。



どんでん返しは話ではない。
ターニングポイントによるギミックだ。
それ以前の話がそもそも面白くないと効果がない。
つまり、どんでん返さない話をまず面白く書けないと、
どんでん返しではないという、ループがなりたつ。
posted by おおおかとしひこ at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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