若手の脚本を読んでいると、
最後にどんでん返ししてどや顔をしているのばかりで辟易する。
どんでん返しを目的に話を書くと、
かなりの確率で失敗するという話。
どんでん返しは華である。
アクションシーンや凄いCGシーンに比べ、
ストーリーだけで出来るから、
低予算で凄い話をつくろうと思ったら、
どんでん返しものを書こうと思うのは分からなくもない。
しかし、どんでん返しを禁止して面白い話を書けるかが、
実は地力が出る。
どんでん返しのやり方を以前書いた。
Aだと思わせておいてBという構造において、
重要なことは、Aに注視させることである。
そもそもAが面白くないと、
どんでん返しは効果がない。
Bだったのかあー!と驚くには、
Aに夢中になっている度合いに比例すると言ってよい。
夢中になればなるほど、それをひっくり返されたときの衝撃が大きいのだ。
どんでん返し系の作品は、Aが上手い。
別の方向へ夢中にさせる、という意味でミスリードという。
しかしそれは作者目線であり、
観客目線ではそれに気づかれてはならないから、
ただのリードである。
つまり、リードする話が書けないのなら、
どんでん返しは効果がないのだ。
うちの若手の脚本を読んでいると、
どんでん返しに夢中になるあまり、
夢中にさせるべき最初のAが全然面白くない。
詰まらない話→どんでん返し、という構造になってしまっている。
これは他山の石として、教訓にしておくとよい。
最初にどんでん返すべき状況描写しかなく、
感情移入も事件も起こらず、
何かを解決しようとする動機も切迫もない、
取り返しのつかないことにもならない、
動きのない場面ばかりを描き、
ラストでそれが実はこうでした、
としかしないのだ。
つまり、ラスト以外全く面白くないのだ。
どんでん返しが目的になっているからだ。
どんでん返しに夢中になっているからだ。
Bに夢中なのではなく、
Aに夢中にさせなければならない。
落ちを先に言ってしまい、話を台無しにする人と大して変わらない。
落ちに夢中になるあまり、
それ以前に夢中になれないのである。
逆算しきれていないのだ。
どんでん返しを武器にしないほうがいい。
それは、初心者にとって、麻薬であり制御しきれないものだ。
まずは普通の起承転結で面白い話を書けるようになるべきだ。
それがきちんと出来るようになったら、
実はどんでん返しなんていらなくなる。
普通に面白い話をしていればいいからだ。
どんでん返しはスパイスである。
スパイスの配合の研究は結構だが、
それに注力するあまり、
ちゃんと肉と米を上手く食わせることから逃げていることが、
問題だ。
料理とは、スパイスではなく、旨い肉と米をつくることだ。
それが不味いとき、スパイスを振ってごまかすのである。
あなたは誤魔化し上手で一生を終えるつもりなら、
それでも構わないが。
どんでん返しは話ではない。
ターニングポイントによるギミックだ。
それ以前の話がそもそも面白くないと効果がない。
つまり、どんでん返さない話をまず面白く書けないと、
どんでん返しではないという、ループがなりたつ。
2014年12月23日
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